スペイン バルセロナ・モンセラートとエンビニ村・フランス ルルドへの旅

2007年10月4日(木)〜10月11日(木)
メルシー ボクー

西山昌子(記)


参加者の皆様とマルセリーノ神父様の地元アルテスの新聞に掲載された写真ですj。
10月4日
 成田発 10:30. エールフランス航空で出発。朝5:30頃には花小金井駅を出発。
成田 8:00集合。集合場所には、福島の参加者の御夫妻がすでにおられた。夜行バスで夜中に福島を発ったらしい。しばらくすると、皆さんが集まってきた。
 マルセリーノ神父様にご挨拶。宜しくお願いします。成田から8名、関西から8名、全員で16名。

 パリ・シャルルドゴールに現地時間16:10着。乗り換えのバルセロナ行きF30はバスに乗り一番遠く空港の端まで行く。店は殆んど無く、飲み物の店はある。
17:55、パリ発バルセロナ行きに乗り換える飛行機の中で、1時間位待たされた。皆静かである。途中、クッキーと飲み物が出た。
エールフランスの夕食が簡単だったので、お腹が空いた感じ。
しかし、エールフランスの機内には、カップラーメン、クッキー、飲み物(ジュース等)、その他の食べ物がおやつに置いてあったので、食べておけばよかった。

 20:40バルセロナ到着。関空からも1時間遅れで、ほぼ同じ時間に到着。皆さんと顔を合わせた。ここで、スペイン在住、スタッフの平野さんが待っていた。荷物をガラガラ引っ張りながら、貸し切りバスのところまで移動。到着時は、小雨だったが、次第に止んできた。ホテルまで30分以上走る。暗いのでどこを走っているのか分からない。ホテル10:00過ぎに到着。田中一江さんと同室。お風呂に入り、11:30に寝る。

10月5日
 寒くて、4:00頃目覚めてしまったが、5:30まで床の中にもぐっていた。後で他の人から、ロッカーの中に毛布があったと知らされた。暖房が入っているのかなと思った。それにしても、何か薄すぎる掛け布団だなと感じてはいたが・・・・。

 7:30 朝食集合。8:30出発の予定ではあったが、結局9:30頃出発。サクラダファミリアとモンジュイックの丘へGO。モンジュイックとは、モン→山、ジュイック→ユダヤ人 という意味で、昔、ユダヤ人が住んでいたそうだ。

 早速バスに乗り込んで外を眺める。バルセロナの建物や路面電車を眺めていると、サグラダファミリア(聖家族教会)が見えてきた。かの有名なガウディ作である。1882年着工。まだ教会は完成していない。早くて25年後とか?テレビでよく見るが、今実物を見ている。

 教会の複雑な形に驚き、スペイン人というのは根気強い国民だなあ、とつくづく思う。ガウディって、一体何者なの? 「サクラダファミリア聖堂の建設はゆっくりしている。なぜならこの作品のご主人(神)が急がないからだ」とはガウディのコメントである。
ただただ上を眺めて、「すごいなあ」とため息ばかり。周りには観光客が多いので、迷い子にならないようにと、一生懸命歩く。
教会を一回りしてから、内部に入って、作業過程の展示品を眺め、重力のかかり方も詳しく調べている模型なども見学した。
 マルセリーノ神父様とエレベーターで60m(4F)まで上ってみた。塔の飾りがよく見える。果物だろうか、赤い実や黄色い実などがついている。 日本人の製作者(今井健二氏)も参加しているようだ。日本人の観光客も多く、完成までの資金はすでに集まっているらしい。

 内部は完成されていないので、まだミサも出来ない。4Fから下りる時は、カタツムリのような狭い階段をぐるぐる回って下りる。一階には、お土産屋さんもある。カード等買っている間に、集合時間に5分程遅れてしまった。レジのおばさんが、仲間とおしゃべりをして、なかなか、レジを打ってくれない。日本とは感覚が大分違う。

 外に出ると、グループは集合場所にはいない。仕方ないから、中央に立っていたら、松村さんが迎えに来てくれた。出口付近に移動していて、人が多すぎて見えなかった。ヤレヤレ、第一日目から迷惑をかけてしまった。すみませんでした。

 再びバスに乗って、バルセロナの市内見物。奇抜なガウディの建物が見えた。道路のコンクリートまでガウディ作の模様が入って美しい。又、ローマ時代の遺跡の上に建物が建っているものもある。港の近くでは、コロンブスの像の塔を車窓から眺めながら、モンジュイックの丘へと向った。

 あいにく、海の景色の美しい丘は工事中のため、入ることが出来なかったが、丘から少し下って来ると、ここでは、美しい海とバルセロナの市街が見えた。10月の太陽の眩しいほどの光と、ちょっぴり涼しいさわやかな空気を胸一杯吸い込んで、東京では味わうことの出来ないすがすがしさを心にしみ込ませて、美しいモンジュイックの丘を後にした。

 再びバスに乗り、バルセロナオリンピックの時の聖火台を眺めながら、一路次の目的地モンセラートへと向った。  *モンセラート=のこぎり山。

険しい独特の形をしたモンセラートの山。随分高い所までバスは登っただろうか、道幅が広いので、バスもゆっくりと曲がりくねりながら登っていく、山の上の広場に出た。
時計はすでに1時半を廻っていた。どおりでお腹が空いたと思った。終着点である。
広い道路の正面にモンセラートの教会が岩にへばりつくように建っている。
よくこんな高い所に教会を建てたものだと驚いてしまう。

 モンセラートのホテルへ。入り口には人気がない。荷物を車から出し、各自の部屋へ荷物を運ぶ。エレベーターもゆっくりしたものだ。エレベーターから下りると通路は外にあった。巨大な岩がホテルにへばりついている。鍵を廻して部屋に入り、ひとまず荷物を部屋に入れた。レストランまで歩き昼食。お腹も空いていたので、とても美味しかった。

 その後、自由行動。希望者は黒いマリア様が見つかった洞窟まで歩くことになった。山を下ってしばらく行くと、ロザリオの秘蹟を表すモニュメントが所々にある。大分山を下って行っただろうか、小さな建物が見えてきた。その内部に、黒いマリアが見つかった洞窟があった。今はレプリカが安置されていて、祈りが出来るようになっていた。
こんな場所でよく見つかったものだと思う。奇跡的に発見された黒いマリア様に驚くばかりであった。

 静かに祈った後で、再び元の道を戻る。途中ケーブルカーを見つけた。私もケーブルカーの所から動かない。   「・・・にほとけ」とはこのことかとばかり、結局全員が乗って元の広場へ到着。(その後、2日程、足の筋肉が階段を下りるたびに痛かった。)広場のお店で、有名な少年合唱団のCDを買った。

 PM7:30 夕方からミサがある。モンセラートの教会は重厚で立派な教会である。大聖堂の裏側に、小聖堂があり、聖堂の奥に、黒いマリア像が安置されていた。黒いマリア像の美しいお顔を拝見し、手に触りながら、小聖堂へと向った。 黒いマリア様の後ろ姿が、
中から眺められる小聖堂。ここで、マルセリーノ神父様のミサがあった。九州からいらっしゃった参加者のお一人が、素晴らしいソプラノでアヴェヴェルムコルプスを歌ってくれた。小聖堂に響きわたり、思い出深いミサとなった。

 その後、8:30頃レストランで夕食。カツフライが食べ切れなかった。小雨の中、近くのホテルへ9:00頃帰ってきた。シャワーでシャンプーをして、PM11:00就寝。

10月6日
 早朝、サンベネット修道院にてミサ。日本人のシスターがいらっしゃるとか。ここでもシスター達と一緒の素晴らしい静かなミサが出来た。ミサの後、シスター達が作られた陶芸の作品展示場に案内された。私はイチゴの赤い色の着いた小さな花瓶を記念に購入した。

 7:45分朝食。その後、自由行動。昨夜書いたはがきを郵便ポストに入れる。これから希望者はロープウエーで山の上まで登ることになった。
山頂まで垂直に上っていく、簡単に頂上に着いた。展望台には、こうもり・鳥・ドラゴン、モンセラートの山の模型などが展示されていた。スペインには、トカゲのような、なまずのようなドラゴンが各地にいるらしい。綺麗な水に棲む生き物らしい。背中の色はいろいろで、サクラダファミリアにも、ガウディが使っている。 ガウディは、自然をモチーフにした建物を、作品として残している。だからユニークなのだと思った。山の頂上を少しだけ歩いて特殊な岩の感触を味わった。

 再び、ロープウエイで下山した。
ホテルから荷物をバスに乗せ、皆が揃ったところでバスに乗りモンセラートから山を下った。車窓からしばらくモンセラートの山が美しく見えていた。
マルセリーノ神父様の故郷アルテスへ。ここは、暖かい雰囲気の町であった。町の農協に入り見学。ワイン醸造所でワインの作り方の説明を聞いた。その後、マルセリーノ神父様のお家へお邪魔し、92才のしっかりした、お年には見えないお母様にお会いした。マルセリーノ神父様はお母様との久し振りの再会である。

 町のレストランでの昼食後、聖イグナチオ・デ・ロヨラが霊操を書いたマンレッサの教会へと出発した。現地在住のスタッフが、「ここから見る裏側のモンセラートの形は美しいですよ」といわれていたが、遠くに見えるモンセラートは綺麗だった。

 マンレッサの教会は立派である。教会の奥へ進むと、小さな岩の間にイグナチオ・デ・ロヨラの小聖堂があった。日本に来たフランシスコ・ザビエル達と一緒にイエズス会を作られたうちの一人である。聖堂の横の壁面に、高山右近のちょんまげ、着物姿のレリーフがあった。何故、そこに描き留められているのか、それはあの偉大な信仰のゆえである。
 ここで、現地在住のスタッフとはお別れ、車でバルセロナの自宅へ帰られた。

いよいよ一路エンビニ村へ、ピレネーの山奥へと、バスは出発した。車はどんどん田舎町から山道へ。人気のない道を走る。ピレネーの静かな山村。

あたりは暗くなってきた。
ようやくエンビニ村の教会に到着。ジョアン神父様のお出迎えがあった。  暗いので、どこがどうだか分からない。バスから荷物を降ろすと、まず部屋決め、辺りは真っ暗である。私達の部屋は5人部屋に決まった。夫婦組は別の部屋。私達の部屋の二段ベッドの上段に寝床がセットされていたが、手摺が無いので、私のような寝相の悪い者は落ちる可能性がある。私は、下にシーツ・枕・布団をセットし直して下に寝ることにした。
懐中電灯は必需品である。荷物を部屋に入れ、 取り敢えず落着いたところで、夕食である。村外から応援の人が2〜3人来て、私達のために台所を手伝っていた。
温かいスープや美味しいご馳走を沢山頂いた。シャワーは、お湯は出るが、すぐ水になってしまうと聞いて、夕食後は顔と歯だけを磨いて、私は寝てしまった。
疲れているので、眠り薬を飲んで寝ることにした。多分大いびきで、夜中中困らせてしまっただろうと思うが、皆さん我慢して下さった。

10月7日
 朝、鶏の声で目が覚めた。辺りはまだ暗かったので布団の中に入って明るくなるまで横になっていた。皆が起き出した頃、私も起きて顔を洗い、オーバーを着て教会の外に出てみた。素晴らしい天気である。ひんやりとした空気を胸いっぱい吸いながら、坂道を少し登って、振り向くと、真っ青な空、遠くに山々が見え、雲がたなびき、色づき始めた木々に囲まれた私達が泊まっている教会が、朝の光に包まれて、美しく輝いていた。なんと美しい風景であろうか。しばらくながめていた。

 朝食後、自由行動。朝の続きのスケッチをしていると、鐘の音が静かに響き渡り、ミサの時間である。オルガン伴奏で、ソプラノ独唱を聞くことが出来た。ミサが終わり裏庭に廻ると、洋ナシが実り、家の囲りにはたわわに実ったブドウの木がテラスを囲み、カタルニア地方の強い光の中で輝いていた。とても美しかった。 
昼食後は、古い羊飼いの道具等のある博物館や町の展示館に行くことになった。車3台で出かけた。

 山道を通り抜け、隣の村の古道具の博物館へと向った。ところが日曜日なので、午前中で係りの人が帰ってしまったとかで入れない。その村には、廃墟と化した教会が崩れそうに建っていた。ならば、蝶の展示館へ、プハルトという村まで車で行き、希望者は見学することになった。
 研究員の女性は50代かな? 素敵なセンスのあるいでたちで、詳しく専門的な説明をして下さった。あれだけの蝶を集めたミュージアムがあのような山村にあるのは驚きであった。世界中の蝶が分類されてあり、説明がスペイン語で無かったら、どんなに興味のあるものであったか残念である。でも、マルセリーノ神父様が一生懸命、日本語に通訳して下さった。

 丁寧な説明で、外に出た時には辺りは薄暗くなっていた。車で、エンビニ村に帰ってきた。夕食は、ジョアン神父様達の作られた食事である。
マルセリーノ神父様持参のワイン、山の新鮮なサラダや、お肉の入ったとてもおいしいご馳走、パン、手作りのジャム、どれもこれもとても美味しかった。おしゃべりをしながら夕食時はとても楽しく過した。
今日もお風呂はやめた。朝晩は気温が下がる。薬を飲んで今夜も早めに寝むることにした。寝てしまってからはいびきがどうなっていたか、本人は分からない。同室の4人に迷惑は掛かっている筈である。

10月8日
 朝食後、自由行動。ミサ。早めに昨日の場所へ行き、スケッチをした。その後、松村さんが新しいミッションのための場所を考案中、とかで、エンビニ村の山の頂上付近まで、みんなで登ることにした。

 途中、真っ赤なりんごがたわわに実っている。坂の上にある石造りの建物には人気が無い。7人の村人しか住んでいない、とても静かな村なのだ。1軒の村の家の中を案内していただいた。昔のままの形で残っている。避暑には来るらしい。昔のままの納屋があり、馬の水のみ場があったりする。人家もとぎれ、石ころだらけの岩山をひたすら黙々と登って行った。

 紅葉が始まっている。汗びっしょりで、杖をついて急な坂道を登ると、たどり着いたところは、廃墟と化した石積みの土台だけが残っている建物があった。松村さんはここで何かを作ると、理想像を描いていた。私達は最初の第一歩だとばかりに、皆で土台の上にそれぞれ石積みを始めた。何かが完成したら素晴らしいことだと思う。

 記念写真を撮った後に、杖をつきながら山道を下った。疲れ果てて教会へたどり着いた。教会の裏庭の石段を少し下りて行ったところに、おいしそうな洋梨が緑の地面の上にポロポロ落ちているではないか。一つを拾ってズボンでこすって、かじってみた。甘くてとても美味しい。山から下りてきたので、また格別に美味しい。もう一つ拾ってあっという間に2個とも食べてしまった。

 その後、エンビニ村の素晴らしい心洗われる景色をしばし眺めていた。ジョアン神父様がお一人で、黙々と台所に立っておられる。昼食の時間が近づいてきた。朝食はあまり食べないようにと言っていた意味が分かった。昼食は美味しいソーセージの入った肉料理と新鮮な野菜、トマトと共に又格別に美味しい。この2日間のこんなに美味しくて、ジョアン神父様の心のこもった味に今まで出会ったことはない。忘れられない味になった。手作りジャムの美味しかったこと、あっという間になくなってしまった。

 昼食後は、コロンビアの動植物、自然のビデオを見て過し、午後は、いよいよエンビニ村を出発。ジョアン神父様とお別れを惜しんで、再びバスにてピレネー山脈の峠を越えて、目的地ルルドへと向った。

 ピレネーの山越えに、私はワクワクしていた。バスの中からではあるが、ピレネーの山々を眺めることが出来る。ピレネー山脈へ、ゆっくりバスは登って行く。途中、トイレ休憩、   小さな町の中でバスから降りた。小雨がぱらついていたが、傘をさすほどでもない。町中では、大規模なバザールが開かれていた。

 岩山の谷間をバスはゆっくりと登っていく。始まったばかりの美しい紅葉が所々見える。冬は雪が沢山積もるのだろう。あちこちに積雪を計るポールが立っていた。
黒い馬が悠々と道路を横切って行った。途中にはゲレンデがあり、スキー客用の絵のような家々が建ち並んでいた。スペインの王様達もここにスキーをしに来るらしい。王族の立派な建物が上の方に見えた。

 濃紺の急な勾配のある屋根に、白い壁の家々の集落があちこちに見えた。
ピレネー山脈は3000m以上あるが、バスが通るこの峠は約2000m以上あるらしいとのことである。
小さな建物が見えた。スペインとフランスの国境である。バスは止まることなく、難なく通過。いよいよフランス国に入っていった。

 松村さんが、国境を境にして、スペインとフランスとの建物ががらりと異なるといっていたが、確かに違う。屋根も壁も、明るい感じに変わってきた。家の作り方も違う。

 国境を越えてしばらく走ると、家々が多くなってきた。高速道路をバスは走る。道路の標識に、ルルドのマークが所々出てきた。

 左に見える山のふもとにルルドの聖地がある。もう近くまで来ていた。だんだんと家々が密集してきた。ルルドの町である。辺りは薄暗くなっていた。

バスから各々自分の荷物を取り出し、石畳の上をガラガラと音を立てながら、宿泊所である修道院へと向った。
 ベージュ色の立派な修道院である。お部屋割りをして各々部屋に入った。しばらくくつろいだ後夕食。その後、9:00からのローソク行列に参加することになった。
 聖域まではこの修道院から近い。歩いて7〜8分で行くことが出来る。石畳の道路を皆で聖域へと歩いていく。途中、沢山並んだお店で、私達は長いローソクを買った。すでに行列は始まっていた。
ルルドの聖母の歌・アヴェマリアが聞こえる。真ん中辺りまで歩き、行列を眺めながらロウソクに火をともし、高く掲げて、私達もアヴェマリアを歌った。大合唱と光の洪水である。世界中から集まって来た沢山の人々と共に私も皆と一緒にアヴェマリアを歌い、聖母マリアへの讃歌を合唱しながら、ローソク行列に参加できたことは感動であった。

 行列に参加して歩いた。
あまり遅くならないうちに、宿泊所である修道院へと戻った。小雨が降っていた。興奮冷めやらず、参加できたことに感謝した。
修道院は綺麗に整頓され、夕食時もお部屋も暖かい雰囲気で旅人を迎えてくれた。
今日はどうでもシャワーで、頭を洗いたい。お湯も豊富であった。ゆっくりと温まることが出来た。おしゃべりしながら床につく。毛布の置き場所も分かり、暖かく眠ることができた。

10月9日
 静かな朝。晴天。教会の鐘の音が聞こえてくる。窓を開けると、ひんやりした空気が室内に入ってきた。朝食を済ませた後はルルド巡礼である。私はモンセラートからずっとオーバーを着て歩いているが、今日もオーバーを着て修道院を出発だ。
今日は最終日。両側に店が並んでいる。そこを通り過ぎると、7〜8分でルルド聖域の正門(サンミッシェル門)に出た。

 前方、奥の方に神聖な朝の光に照らされた大聖堂が見えてきた。辺りは静寂に包まれ、小鳥の鳴き声が聞こえている。目の前の十字架の塔を見やりながら聖域へと進んでいった。
 巡礼休憩所で15分位ビデオを見た。
希望者は水浴をする。水浴は9時〜11時。
聖堂の右奥の方に進んでいくと、沢山の人が水浴の順番を待って並んでいた。左側にはガブ川がとうとうと流れていた。私達も水浴場の最後尾に並んだ。前方では、若人5〜6人がギターや他の楽器で歌を歌っていた。
約1時間半で水浴の順番が回ってきた。青と白のカーテンをくぐると、6人ぐらいの入れる部屋がある。お手伝いの人が手際よく、服を脱がせて、後ろに次々と掛けて下さる。
下着類は上手にオーバーのポケットに入れる。ブラジャーだけ手に持たされて、マントを着せられ、水浴の順番を椅子に座って待つ。5分も経たないうちに回ってきた。

 水浴場には2人のシスターがいる。マントを脱ぎ白い布で素早く身を包み替え、水の入った細長い長方形の中、手前に段差があり、そこから前方に進んでいくと、マリア様の像があり、祈るように促す。静かに足を伸ばして、水温12℃の中に(深さは50mはあるかな?)体を沈めると、2〜3秒ぐらいの速さで2人のシスターが持ち上げてくれる。その手際のよさ。再び手品のような速さで白い布からマントに着替え、水浴場から出た。
あっという間に水浴は終わった。私は感動して、涙がポタポタと流れた。先ほど脱いだ衣類を次々とまとい、外へ出てきた。松村さんが水浴時、石鹸と桶と手拭いを持参してくださいと冗談を言って笑わせていたが、本当にタオルで拭くこともなしに、乾いてしまった。

 皆んなの待っている場所に全員集合。グロット(洞窟のマリア様)→水栓場―を通り―聖域を出て、昔の司祭館―ベルナデッタ生家(水車小屋)―カシュー―ルルド小教区教会―を早歩きで、ひとまずぐるりと廻り、ホテルに戻った。昼食後は自由時間である。

 グループで再び出掛けることにした。まず、ロザリオ大聖堂、地下聖堂、上部聖堂。3階建てになっているといわれたところを見て廻り祈った。
地下聖堂では、ベルナデッタのまつられている小部屋でろうそくをともした。

外に出て、マッサビエル洞窟の列に並んで、洞窟の岩に手をやると、ひんやりとした肌触り、マリア様の足元の岩からはジワーッと湧き水がしみ出ていた。
その感触を手に、しばしグロットを眺め祈った。 ここには椅子が並べられてあり、沢山の人が座っていた。奇跡の泉がある近くに聖水があり、水栓からは自由に飲むことが出来る。手ですくって飲んだ。その後、お土産の聖水を汲んだ。

 次は、聖ピオ10世地下大聖堂に入った。入口がなかなか見つからず、インフォメーションで聞くと直ぐに分かった。地下聖堂はものすごく広い。2,3万人を収容できる大聖堂である。ノアの箱舟の形をしている。核シェルターにも使われるらしい。中に入ると、沢山の椅子が並べられ、パイプオルガンの音が響きわたって、大勢の人達が集まっていた。

 ぐるりとひとまわりをして、聖域から出た。次は、出口近くの御土産やさんを覗き、ベルナデッタの御像を買った。宿泊所である修道院の近くまで来た所にある、サクレクール教会。ここは、ベルナデッタが洗礼を受けた教会である。
ここを見学した後、郵便局で切手を5枚ほど買い、その後、松村さんから聞いていた美味しいケーキ屋さんで、ケーキとお茶を飲んだ。辺りは薄暗くなっていた。
修道院に帰り着いた。今日は充実した一日であった。
 
城砦跡地からの、聖域全体を眺めることは、時間が無くて出来なかったが、十分ルルドの雰囲気を味わうことが出来た。夕食を済ませて、便りを書き、明日はいよいよ旅の最終日、日本に帰る日である。4:30に目覚まし時計をセットして床についた。

10月10日
 朝5:30分、まだ外は暗い。
朝食を済ませ、ハムをはさんだ長〜いパン(30cmもありそうなパン)、飲み物、リンゴ、バナナの入った昼食用の袋を頂き、(葉書は修道院の方に投函をお願いして)6時前には修道院を出た。外はまだ暗い。石畳の道を、スーツケースを引きながら、名残惜しい気持ちでルルドを後にした。

 東京では見ることの出来ない沢山の星が、綺麗に輝いていた。北斗七星と金星が見えた。しばらく星空を眺めていると、辺りが少しずつ明るくなってきた。高速道路を走り、トウールーズ市街に出た。約2時間20分で近代的で立派なトウールーズ・ブラニャック空港に到着した。
関空行きの人より成田行きの方が早めにチェックインした。(関空の人達はオランダ航空でいく。)小さな免税店でトウールーズの名物、スミレの砂糖漬けや紅茶等を買い、飛行機に乗り込む。 乗継のシャルル・ドゴール空港行きの飛行機の中でなんと1時間待たされて、ようやく、シャルル・ドゴール空港に到着した。

 成田行き飛行機への乗換え時間が少なかったので、モラレス神父様達と空港の中を走る走る。ようやく、成田行きの表示が見えてきた。日本人の顔もチラホラ見えてきた。
出発に間に合った。ここで、モラレス神父様ともお別れ。(神父様は別の便で関空へ行く)。F44ゲートの最後の搭乗口からすぐに飛行機に乗れると思いきやバスで移動した。バスから降りて、タラップを上ってようやく成田行きの飛行機に乗り込んだ。

 気流の関係で、PM1:15発の便も随分遅れた。両方が遅れたために、うまく乗れた訳である。帰りは気流の関係で行きよりは時間は短いはずである。飛行機の中では眠れないので映画を2本見てしまった。
日本時間8時半頃、無事成田に到着した。
お世話になりました。     AM11:30には自宅にたどり着いた。

今までの旅とは違って、巡礼の旅は、私にとって初めての経験であった。
ミサをしながら分かち合いながらの旅で楽しい気持ちで旅行が出来たことは素晴らしい思い出となりました。

ありがとうございました


【参考資料】

バルセロナ 人口約1,503,400人
 スペインには地方ごとに国があるといわれる。バルセロナを州都とするカタルーニャ地方もまた、独自の歴史と文化を育んできた。19世紀半ば、カタルーニャ、ルネッサンスと呼ばれるこの時代、モデルニスモ(近代主義)と呼ばれる革新的な芸術運動が起こりガウディをはじめとする建築家達の作品が町並みに彩を添えた。
 1992年のオリンピック開催を機に、一層スペインで最も活気のある都市として躍進を続けている。

コロンブスの塔 アメリカ大陸発見を記念して、1888年バルセロナ万博の際に建てられた。

モンジュイックの丘 173m

ガウディ 1926年 市電にはねられて死亡。

グエル別邸 レンガとタイルが組み合わされた外壁はムデハル様式。正門のドラゴンはギリシャ神話に出てくる黄金のリンゴ(愛と多産のシンボル)の園の番人である龍を象徴している。

モンセラート バルセロナから北西へ53km
 のどかな田園風景の中に灰白色の岩山が聳え立つ。モンセラットは「のこぎり山」という意味。古くからキリストの聖地とされ、カタルーニャ地方をはじめスペイン全土から大勢の巡礼者が訪れる。標高1235mの山に中腹に現在も約80人の修道士が暮らすベネディクト会の修道院がある。 大聖堂Basilica。

ラ・モレネータ 黒いマリア像はナポレオンが侵略した時も土地の人の手によって隠され守られた。
サンタ・コバ行きのケーブルカーで、マリア像の所へ、ロザリオの秘路を表す15のモニュメントがあり、その中の第一秘跡「キリストの復活」はガウディの作

エスコラニア 少年合唱団。13世紀から現在に引き継がれている。

ルルド 人口15.000人 ガブ川
1858.2.11 14歳のベルナデッタに聖母マリアが現れた。
年間170カ国から600万人が集まる。
ベルナデッタの遺体はブルゴーニュ地方の町マヴェールにあるサン=ジルダールという僧院の礼拝堂に安置されている。

奇跡のメダイ 周りの星がちりばめられている。聖カタリナにまつわる話もある。

ローソク行列 毎晩9:00〜
洞窟から入口の門を回って、広場に行く大きな木製の十字架を先頭に沢山の人が後に続く。

サンチャゴ巡礼 帆立貝が印
スペイン北西部ガリシア地方に位置するサンチャゴ・デ・コンポステーラ。
キリストの12使徒の一人、聖ヤコブ。伝道中に殉教した聖人を祀る大聖堂がスペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラに建てられた。フランスでは、4つの出発地から道が続いている。ピレネー山脈を越えて一つになる。1998年街道が世界遺産に登録された。

サンチャゴ・・・聖ヤコブ
コンポステーラ・・・星の野

フランスからの道
パリ・・・トゥ―ル・・・(トゥ―ルの道)
ヴェズレ―・・・クレルモン・フェラン・・・(サンレオナールの道)
アルル・・・トゥ―ル―ズ・・・(サンジルの道)
ル・ビュイ・・・コンク・・・モワサック・・・(ル・ビュイの道)
                             
スペイン サンチャゴ・デ・コンポステーラ
ピレネー山脈越え




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