2010春の巡礼紀
参加者74名・5月14日(金)ルルド・グロットでのミサはインターネットで全世界に放映されました。 (2010年6月22日更新) |
|||
|
|||
『ルルド・モンセラート聖地巡礼の旅』に思うこと 世界遺産建造物の教会・修道院の彫刻や絵画を含めてスケールの大きさに心を奪われた驚きの連続。私にとって初めての聖地の旅でした。聖書の世界が現在も生きずいているという情況を目の当たりにして、イエス・キリストと共にいると言える不思議な雰囲気の道中、本音で語り合えたと思う同行者との出会いは、何ものにもかえがたい喜びでした。 出発ロビーでの旅行会社のT・Mさんをはじめ、歓迎コンサートやシャンパン工場の見学など、お世話くださった神父さんや引率者の神父さん方は帰国寸前まで旅慣れない私たちを気遣ってくださいました。聖ペトロことルルド修道院のカギを預かっておられるS・Sさん、途方にくれていた私たちの前に現れては何度も助けてくださった。雄大な風景を車窓から眺めた長距離バスの運転手さんの腕前はさることながら、人柄にも感服。また一緒に参加されていたスペイン生まれのK・Tさんには史跡の説明など気さくにお尋ねできて、買い物のときも大助かり。聖人の足跡を辿ったザビエル巡礼ミサでお会いしたご高齢のヘルス神父さまが、同じお年の奈良のジョン・ヒル神父と重なり、懐かしい思いでお話しました。 イグナチオ・ロヨラが騎士道に憧れ恋愛小説を好んだという話には、とても親近感を抱きますが、回心して神の栄光を求めた黙想のテーマ集の段階には畏敬の念を覚える。今回の巡礼の旅に招いてくださった方々に感謝し、これからも人との出会いを大切に考えてゆきたいと思う。 帰国して間もなく、静岡の友人から、奈良の知人より悩み事の相談があり、その時、知人に私を紹介したので一度訪ねてくれないか、との依頼の電話があった。なんの面識もない私が訪ねて行ってよいかどうか不安を抱きながら電話したところ、快くお会いしたい、とのご返事。 当日初対面の訪問にもかかわらず気さくに迎えてくださったことで内心ほっとしました。旅館の女将として、一人で切り盛りしていて大変のご様子をききながら、世間話や共通の話題に話が弾み、3時間余りお邪魔してしまい私の方からおいとましました。帰りがけに女将さんは、「自然が一番いいのですね」と自分に言い聞かせるように繰り返し言われた言葉が強く印象に残り、この一言で私の訪問の目的が果たされたとの、素晴らしい出会いに幸せを感じました。神に感謝。 |
|||
|
|||
巡礼 大聖地、ルルドへ再度訪れた、何度行っても聖地は素晴らしい。 初日からルルドは雨であった、しかし雨の中でも聖地は私たち巡礼団を迎えてくれた。 聖地は最高の巡礼地である。 世界中の人々の出会い、知らない人々との祈りでの出会いは心と心のつながりだと思う。 大聖地ならではの素晴らしい出会いである。 雨の中、グロットのミサの中でもマリア様は私たちを見守って下さっている、どしゃぶりの雨の中、ミサの始まりを私達は待っていた、しばらくすると神父様方が次々とグロットに入道された、静かにミサは始まりますます雨は強くなった、皆が祈りに入り、他の国の方もミサに参加されていたに違いない。 私は喜びと嬉しさのあまり、心はビビビィーと電気が走ったようだった、ミサも盛大に終わった。 ミサが終わると目的の場へと足は進んでいった。 私は雨に濡れたため修道院に戻り、洋服を着替え買物に出かけた。 ルルドの地下大聖堂では大勢の巡礼の方がミサに参加されていた、本当に大きな聖堂である。 「クジラのお腹」と表現出来る情景でした。私達はミサに参加しなかったが少しの時間祈りへと導かれる思いがした、本当にミサは素晴らしい。 巡礼も別の聖地、モンサンミッシェル、リジュへ移動。 リジュでは最初の巡礼でお世話になった大切な人と再度の出会いが同じ場所で、何が起きたのだろうと、しばし呆然とした。 本当に不思議でしかたなかった、神様は私に素晴らしい出会いを下さった、感謝、感謝です。 モンサンミッシェルでは前回と異なる素晴らしい教会の建物に感銘した、それは、次回といたしましょう。 巡礼も終わりを迎え、フランスの空港へ、手続きを終え機内へ。 ただただ眠り関空へ到着、神父様から最後のお話が有り荷物を受け取りそれぞれ家路へと、私は何だか別れがつらくなり、なにか心の忘れ物をしたようでした。 もう一度どこかでいい出会いが出来ることを願いつつ。 最後になりましたが、神父様に心より感謝致します、本当に有難うございました。 松村様へも感謝の気持ちでいっぱいです。 何時の日か又、お会い出来ますように。 祈りのなかで、 川西 麗子 |
|||
|
|||
『巡礼に参加して』 おはようございます!深堀さ〜ん!どこかで聞いた声が…そうモラレス神父さんのモーニングコールだ。時計は5時半、グロット(洞窟)での朝ミサは6時半。夢うつつの中カメラと祈り本を持って食堂へ。 確か、昨夜遅くここルルドに到着して荷物の整理などで寝たのは2時近く。 最後まで体もつかな…とふと心配になる。 次第に激しくなる雨の中をグロットへ− しかしグロットでのミサはそれら不安や眠気もふっ飛ぶ感動深いものでした。 モラレス、川邨、奥村、マルセリーノの同行した神父さん司式による日本語の御ミサ、我々の歌う聖歌がマリア様が御出現されたグロットの空に響く。 横にはいつの間に来たのか見知らぬ国の巡礼の人達が皆同じ聖歌を口ずさんでいる。次から次へと押し寄せる人の波、病や障害を負った人を人力車に乗せて巧みに走り回るボランティアの人達。沐浴の終わった後、誰かに感謝したくて震えながら涙が出てくる。ローソクの渦の中で歌ったアベマリア……宿に帰るとそのままバタンキュウ〜 でも強烈な印象の1日でした。 3日目はピレネー山脈を越えてスペインへ。折しも降りだした雪が吹雪となりその中を、サンチャゴへとひたすら歩く巡礼者の姿が一人又一人。1200キロと言うまるで気の遠くなるような巡礼です。 バスの中から旅の安全を祈り手を合わせて通り過ぎました。 途中、イスラム軍から逃れた修道士が山奥の巨岩を利用して造ったと言うペ二ァ修道院、難関ピレネー山脈を越えて巡礼者がほっとくつろぐ宿場町ハカを過ぎ、いよいよザビエルの生誕地ザビエル城へ。 5人兄弟の末に生まれたザビエルは10才の時スペイン軍との戦いに巻き込まれ父と2人の兄を失い同時に城は破壊され、それまでの何不自由のなかった生活も失ってしまう。 しかし、この戦いで敵の将校の一人として戦いその最中に足を負傷し、信仰の道に入ったのが後にザビエルと共にイエズス会の創始者となったロヨラだったと言う事です。 そう思うと、この戦いは2人にとっては人生を大きく変えるきっかけとなり、後に志を共にする要因になったのかもしれません。 ザビエル城は周囲を見下ろす高台にあり、緑の芝生と青空を背景に赤い旗のなびく城は、まるで3D映画の画面から飛び出して来たような美しさです。 内部はザビエルの過ごした聖人の間や大広間、礼拝堂が階段で迷路のように連なり、聖キリストの礼拝堂では口元に笑みをたたえた"微笑みのキリスト像"が我々を暖かく迎えてくれているようでした。 ザビエルの教会ではグレゴリオ聖歌で我々を迎えてくれ、神父さんの要望で我々も"一つになろう"の歌をお返ししました。"グラツェ グラツェ!!"今年85才になられるホフマン神父さんの嬉しそうなお顔が印象的でした。 古都サラゴサではヤコブにマリア様が現れ、一本の小さなピラール(柱)を渡され その場所に造られたピラールと呼ばれる大聖堂の目もくらむ彫刻の数々に圧倒されました。 バルセロナの近くで突然バスの窓から異様としか言いようのないノコギリの様な山が広がる。モンセラートと言われ、何万年もの昔海底が隆起したものが風化作用でギザギザになったものらしい。バスで一気に約千メートル近く登り間近で見上げて又その偉容にびっくり。日本で言うなら五百羅漢さんの巨人達にびっしりと取り囲まれ見下ろされている感じ。更にその岩に守られるかの様に大聖堂、修道院、レストラン、ホテル、土産物屋などが軒を連ね、さながら一大観光地となっている。 ナポレオン戦争でも、信者によって洞窟に隠された密かに守られてきたと言われる聖母子像(地元ではムラネタと言われている黒い像)の所へ山道を歩く。車の有り難さ身にしみる道でした。 この別世界の様な所で宿泊できた事、大聖堂での御ミサにあずかれた事、又バルセロナのクラレチアン教会では美しいピレネーの声と言われる方々の合唱を聞かせて頂いた事、行く先々での暖かいもてなしと聖堂での祈り、そして何より同行して頂いた神父さんと現地ガイドの平野さん、主催者松村さんの見事なチームワークで、初めての巡礼と言う不安もなく充実した旅ができた事を心から感謝したいと思います。 深堀 秀勝 泉南教会 |
|||
|
|||
人生は旅路だと言われる。人はその途次、自分の来し方を顧みるために"巡礼の旅"に立ち寄ることがある。私たち夫婦は七十の歳を越えて初めて、キリスト者としての巡礼の旅に出た。地図を眺めながら、よもや私たちの生涯で、フランスとスペインの領土を分かつピレネー山脈を越えて巡礼の旅をするとは想像もしなかったが。 フランシスコ・ザビエルが、イグナチオ・ロヨラとの出会いから、それまでの俗世的な人生を変え、後年イエズス会士として世界宣教へ旅たち、1541年から1552年にかけて長い旅路の途次、1547年マラッカで出会った日本人アンジローこと弥次郎との出会いから1549年8月、東洋の島国日本の鹿児島に宣教の第一歩を踏み入れたことは、日本人のキリスト教との出会いはやはり奇跡的なこと。ザビエル城サンミゲルの塔のテラスから眺める、かつてのナビラ王国の地形を想像しながら思う。『私の後に従いたい者は、おのれを捨て、自分の十字架をになって、わたしに従いなさい』(マルコ8章34節)という声が風とともに聞こえて来るようである。 この度の巡礼に同行していただいた神父様、巡礼先で出会った神父様とシスターたち、巡礼中の毎日ミサに与かることができて感謝。 カトリック大和高田教会 |
|||
|
|||
ふたたびルルドに 最初にルルドを訪れたのは2005年。姉を亡くして2か月経たない時でした。その年の4月、姉は、福岡県の所属教会、新田原の信者さん達10数名を典礼委員長として引率し、この時は、初めての海外旅行だという80歳を超える方達のお世話で一杯いっぱいだったそうです。この時すでに姉の身体は、前年の10月受けた胃癌の手術で余命半年と宣告された期限のギリギリに立たされていたのですが、それを微塵もみせずに遂行したと、この巡礼でご一緒して下さった巡礼センター松村さんに伺いました。この年の11月、今度は自分のために巡礼に是非行きたいと申し込んでいたのですが、それは、叶いませんでした。私が、姉の看病のために帰省していた8月、姉の見舞いに訪れた松村さんに、姉が「私の代わりに妹に行って貰うからよろしくね。」と・・・。松村さんとの出会いとその後の私たちの運命をも演出して姉は9月30日天国に旅立ちました。 姉を送った後、慌ただしく盛岡に戻った私は、姉の遺言を守るべくルルドへの準備に取り掛かったのですが、姉が「行くなら光さん(夫)も、絶対連れて行きなさい。ルルドも勿論だけど、松村さんに必ずいい意味の影響を受ける筈だから…私が光さんの分もプレゼントするからね。」と言われていたので夫を説得し、夫の母(この時84歳)も説得して、親子3人の珍道中(巡礼なのですが・)が、一度目のルルド訪問でした。 姉の予言通り、この出会いがきっかけで夫は、松村さんの霊名「十字架の聖ヨハネ」を頂いて、また、代夫になって頂いて、今は、驚くなかれ、当教会の役員として、また聖体奉仕者として名前の通り「光」の子として歩んでいます。頭髪も名前の如しですが…(笑) 今回のルルド訪問は前回頂いた余りあるお恵みへの報告とお礼のためでした。 幸い、当教会のミゲル神父様(私が勝手に思っているのですが、お説教している姿は時折、イエス・キリスト様を彷彿させる)に同行をお願いすることが出来、お世話係としてだけではなく、姉の遺志を継ぐ旅という認識のもとでの旅立ちとなりました。 5月とは思えない冷たい雨の降りしきる中のグロットでのミサ、ミゲル神父様の威風堂々たる司式、岩間ドクターの落ち着いた(本人的に?)先唱、大阪から参加された灯本さんの素晴らしい讃美歌独唱に比し、第一朗読を担当した私めは、「僕」を「しもべ」と読まず「ぼく」と読む大失態(後で気付いたのですが)…。ごめんなさい!マリア様の寛容な微笑みは私のため?(笑) 以前訪れた時は、ヌヴェールのベルナデッタのお姿は、亡くなった姉の姿とダブって涙、涙でお目に掛った記憶しかないのですが、やはり、今回もその気高いまでの美しさに熱いものが込みあげてきました。 前回の旅の時は、その場、その場が切り取られた断片であったものが、今回の旅では、その一つ一つがすべて繋ぎ合わさり集約された旅となったように思います。 沢山のハプニングやエピソードもありましたが、それも巡礼。松村さんがいつも仰っている「痛みを伴ってこその巡礼で、その十字架を神様に捧げる喜びを分かち合いましょう。」の意味をしっかり受け止めて、また、いつの日か巡礼の地で皆様と再会できたら幸せに思います。 余談ですが、両親の故郷、長崎五島(父は野崎島、野首教会。母は上五島、青砂ヶ浦教会出身)を訪れた時の記憶が鮮烈でしたので、いつか、皆様をお誘いして再訪したいと思っております。信仰を守り抜いた先人の魂を微力ながら受け継いでいけたら、今はなき両親と姉に喜んでもらえる気がして・・・。 盛岡四ツ家教会 佐藤あつみ |
|||
|
|||
終わり良ければすべて良し
ねえ、ルルドに行かない?と、同じ志家教会の田口さんに誘われたのが始まり。 |
|||
|
|||
†主の平和 巡礼の旅に招いて下さった主に感謝致します。
日本に帰って、典礼は聖霊降臨、キリストの聖体と祭日を向かえ、暦は、聖母マリア様から御心の月に変わり行く中で、架空ではなくヨーロッパ大陸の一部でしたが自分の足で歩き触れ感じ、そう、五感で体験できた事は巡礼後の信仰生活に大きな影響を与えています。 スペインに着いて、ガイドさんのここは地の果て向こうは『アフリカ大陸』と言われた言葉に驚きました。スペインではアフリカ大陸がかなり生活の中で意識化のレベルであると言う事を全く知らなかったからです。日本にだけ住んでいると地球は確かに丸いと大陸はあると知っていても体感しませんでした。スペインに行ってその空気を吸いそこで聞くと本当にあそこにアフリカ大陸があるのだと実感しました。 |
|||
|
|||
ルルドへの巡礼 2010年5月12日〜18日まで長い間一度は行ってみたいと思っていたルルドへの巡礼が実現しました。今回の巡礼は私にとって自分の中にある悩み、苦しみ、悲しみの一杯入ったリュックを背負っての旅でした。そのリュックの重さは、時としてとても耐えられない、と思われるものでもありました。しかしルルドの地に一歩足を踏み入れた時、私の目に入ってきたものは、世界各国から集まって来た何千人という大群衆の祈りでした。その人々は、色々な言葉を話し、色々な思いを携えて来られたに違いない大勢の人々でした。私は、この群集の祈りが、マリア様のメッセージを胸に秘め、天に向かって無言の神様と一体となっていると言う印象を強く受けたのでした。今回のルルドへの旅はかなり時間的に辛いものがありましたが、この巡礼を通して私に、次の祈りを思い出させてくれました。 「祈りのはこぶね」英 隆一朗著 イエズス会(ドン・ボスコ社)の中から:『いのちの主よ さまざまな心配や困難に すぐひるんでしまうわたしを顧みてください。 あなたの呼びかけが分かりながら それに応えられないこともよくあります。あなたの呼びかけに いつも「はい」と言って 委ねることができますように。幼子のように素直な心で信頼できるよう助けてください。』 鷹觜 信子 |
|||
|
|||
ルルド・ヌヴェール巡礼の旅
(2010年5月12日〜5月18日) 岩間 充 |
|||
|
|||
成田発約12時間のフライトの後、憧れの都パリに到着。このような書き出しで始まる旅行記は多々ある。しかしである。パリはあくまで移動の通過点。到着早々、ミゲル神父様率いる我々一行は、パリを背にして一路ルルドを目指す。ルルド・・・?洗礼を受ける1年ちょっと前までは、その名前すら知らなかった。巡礼も初めて。そして今、初めて来訪するフランスという異国の地に、同じ目的をもった同志らと足を下ろしている(各教区から総勢80数名)。今まで旅といえば、若い頃からやっていた波乗りやウィンドサーフィンが目的。よって海外旅行の行き先は、お決まりの海。サーフィンの聖地といわれるハワイ、グァム、サイパンでグットな波、風をゲットすることに主眼を置いていた。洗礼後「古い自分は死し、新しくされた」。この意味で、古い旅は終焉し、新しい旅の第一歩が今度の旅となった。本当の意味での聖地へ旅立つことに。 南フランスとスペインの国境にあるルルドとパリ郊外にあるヌヴェール。この2つの町は距離を置いているが、巡礼の旅の意味においては一連である。このルートに身を置くことによって、マリア様の光がベルナデッタを煌々と照らし出すさまを、思い巡らすことができる。 矢継ぎ早に、飛行機・バスを乗りつぎ、やっとルルド到着。初日からあいにく雨。気温も低く、寝不足もあってか意気消沈気味。しかし修道院でのシスターによるあたたかい朝食のもてなしでパワー全開。さっそく、修道院から徒歩で聖地中心へと向かう。一見、ディズニーランドのテーマパークと見紛う様な、整然とした一体感のある町並みと、前方には、空に向かって聳える教会の塔が目に飛び込んでくる。5月のルルドは新緑豊かで、ガブ川の流水の音、小鳥のさえずりが身も心もそっと包含してくれる。どこからともなく、異国の言葉で奏でる聖歌も聞こえる。ゆっくりとその空間に身を置く。これだけでも癒しの恵みを実感できる。 初めての地、初対面の信徒の方々。緊張と感慨、不安と開放。この錯綜した気持は日が経つに連れ解き放たれ、最後は一致というよき形で巡礼の方々の表情に表れてきました。お国柄か、修道院でまさかの赤ワインを頂きながらの、昼食と夕食。適度のアルコールのおかげで緊張がほぐれて、時があっという間に過ぎ、話足りないぐらいでした。未信者の方も何人か参加され、友達にもなりました。私が洗礼を受ける前までルルドを知らずにいた状況より、あなた方は今まさに「呼ばれているのですよ!」。後はパスカルに従い「賭けるだけでよいのですよ!」。 感動した出来事を二つ書きます。一つはマリア様ご出現の洞窟マッサビルでのミサ。ミゲル神父様が司式する、各教区からの司祭による合同ミサ。野外でのミサはもちろん初めてで、更にミサ進行役を仰せ付かり、その模様がインターネット上で世界に配信されると聞かされ、否が応でも気持ちは緊張し高揚する。地元のボランティアの厳重な体制のもと、祭壇にあがる前まで飛び出しそうな心臓の鼓動も、ミサが始まる頃には不思議に穏やかになっていた。もう一つは、ヌヴェールで見た、今にも起き上がるではないかと錯覚しそうな光彩陸離たるベルナデッタの姿・・・・・。胸に熱いものがこみ上げてくる。そして、サン・ジルダール修道院のシスターがベルナデッタを語る時、目に涙を浮かべていた様も印象的であった。 その他、いろいろありました。巡礼の人々が多くて、沐浴できなかった方々。財布を無くされた方(最後、戻りました)。スリに遭われた方(傘)。入国審査で靴まで脱がされた者(わたくしです)。ミゲル神父様と私の二人で、スリの居合わせた超混雑の電車で、3時間立ち通しの荷物の監視。この平坦ではなかった、巡礼の道筋。しかし、洗練されたパリの町並みも、パリジェンヌもルーブル美術館の凱旋門も、この豊かな癒しの恵みに比べれば、灰燼に過ぎないように思われました。スケジュール的にはハードで、ご高齢の方々が多かった今回の旅でしたが、マリア様はそのご加護のもと我々を無事帰国させてくださいました。 岩間 充 ー ルルド巡礼センター − |