L o v e J e s u s!
聖霊が覆って守って下さった巡礼の旅
俗性と聖性の狭間の中を通り貫けた旅。日本においてひとつのものを捨て選んだ時から巡礼は始まった。過去という香り豊かな花も小さいカバンに入れて持って行った旅。
聖霊に導かれながらある時は覆われていることに意識し神を賛美し、何故か5月に入るとすぐにでもルルドに行きたい思いにかられる。今年は、どこに自分がいるのかわからない時に安心し移動する為に地図を用意した。この不安は去年はすべてが初体験だったため多いに好奇心を駆り立てた。今年は好奇心というものより、『平和』『自由』『信仰』という言葉が風船のように膨れ上がってきた。出発前日、気候は寒いのか暑いのかわからなかったが、ともかく、体が痛く一泊したホテルでマッサージをしてもらった。その時、満月のとても美しい夜で彼女が感激して何度も何度も「今日は最高に美しい月だ!」と言われたのが脳裏に残っている。本当に大きく夜に君臨していた。
ルルドに着くと家に帰ってきたような心地になった。でも、2日泊まると去年は去年だと感じた。それは、自分が今を生きているということでうれしい事だった。去年という絵の上にまた今年という色を重ねたようで、否定も肯定もしない『ある』を実感した。ルルドに行く前に偶然、母の担当医で人の良さそうな医師がフランスはいくが…「ルルドがどこにあるか知らない」と、言われた。「ルルドの水を持って帰ってきます」と、いったというより宣言したような気持ちだった。病床の母の元に届けたいと強く思った。今回は沐浴も入ろうと決心もした。それは話の種になると思い。主は、本当に話の種になるだけの沐浴体験をさせてくださった。神様ありがとうございました。
まずは、心はアシジに向かった。『平和』『自由』『信仰』。イタリアの国に入り転々と廻るにつれ『自由』『信仰』『平和』と順番が変わった。アニメのグッズも沢山土産品の中にあったが日本の方が可愛いと思った。移動中、ジプシーという人たちの何台かの車とすれちがう。車中から放牧されている馬も見る。ある教会の扉の彫刻?イエスを打っている兵士の足がピカピカに輝いていたのには驚いた。『すがりたい』という気持ちは分からないではないが「ちがうでしょう」と思った。でも、日常に還ってそれは人の日常性で行われている事と痛感する。中国系の寿司には『お!お?』と思わず声がでた。信号が変わり横断する事。些細な事にラテン系?と感じた。何かと「ちがう」を肌で感じる旅。
フランシスコが祈ったラベルナ山に着く。フランシスコ会の修道者の方々とすれちがう。
男性にしろ女性にしろとても整った服装で清潔感が漂っていた。ちょっとあなた達とちがうわよと言われている思いがした。それと対象にフランシスコが黙想した何箇所を巡る。自分なりに体験し読んだ書物と併せ思いを同一化するとなんとも言えない時を越えた苦痛と平安が頂ける場所だった。脳裏にしっかり記憶する。今もそこに自分を置くと永遠性において落ち着く。
元神学校というホテルにてミサが捧げられる。天井がピンク色で雲が活き活きと描かれてあった。もっと上手に伝えることができる人がいると思うが…。このお御堂に足を入れた途端、聖霊に包まれた思いになった。ずーと聖霊が導いて下さっている事を現して下さった様な印象を受ける。見ると花瓶に入れられた花が見事にしっかり枯れていた。俗と聖の狭間でミサが捧げられているのを感じる。
翌日、バチカン広場に入り空気に驚いた。ヨハネ・パウロ2世教皇の香りが漂っている。今のパパ様より強く感じた。どうしてだろうと思った。この広い空間で高山右近グッズがここに小さな群れの日本人がいることをアピールした。パパ様が広場に姿を現され、多くのキリストを信じる群れと共に過ごされた時は闘士というよりキリストの静けさを感じたひと時でした。バチカン広場を出る時、教皇がおられるだろうという部屋の明かりがついていたのが印象的でした。教皇ベネディクト16世の人柄を感じ摂れた時。栄養を摂るの字を敢えて使い、信仰という栄養をバチカンと言う空間で摂れた事を神様に感謝します!サンピエトロ寺院を歩き、ローマ巡礼し、一人一人本当に違うと思い。ただただ同じなのは聖マリアのように「はい」言われ歩む、歩まれた事。主と共に出来事が起こり縦糸横糸と織られ永遠の命という実が時代を越えて『ある』こと。
日本にて私たちを見守って下さっていたスタッフの皆様ありがとうございました。
奥村豊神父様、椎津シリルさんありがとうございました。
『巡礼』いろんなことがありましたが祝福の内に過ごさせてもらい主に感謝します。
30年前の友がきっかけで書いた巡礼記でした。
キリストの優しさの内に
ジェンマ・ガルガーニ 登尾久美
ー ルルド巡礼センター −
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