【ルルド巡礼記】


― 2015・2・9(月)〜2・16(月) ―



 《仙台教区盛岡四ツ家教会司祭:インセン・バーサ神父》
旅の少しの話:私達は2/8(日)に盛岡から東京へ行き、成田空港内にあるホテルに一泊しました。次の日、横浜から の二人の巡礼者と成田空港で出会って、色々な準備が出来てからエールフランス機で昼過ぎに出発したのです。 パリに着いたのは午後16:45頃(時差8時間)でした。パリ・ドゴール空港で、関空からの5人と合流し、夜10時頃に 再びエールフランス機でトゥールーズに行きました。トゥールーズに着いたのは23:25、そしてバスでホテルに行き一泊。 次の日、2時間位バスに乗ってバルトレス村に行き、そのあとルルド修道院に泊まりました。ルルドに3泊しながら色々 なイベントに参加しました。例えば、ルルドでの国際ミサ、沐浴、マリア・プロセッション(ろうそく行列)、ベルナデッタの足
跡を訪ねたこと、また聖母に捧げる音楽会にも参加しました。2/13にバスでトゥールーズ空港に帰り、13:25にエール フランス機でパリに戻りました。パリに着いた後、バスで不思議なメダイ教会に行きミサを捧げました。次の日、ホテルで 朝食を済ませバスに3時間位乗ってヌベールのベルナデッタの眠るサンジルダール修道院に巡礼し、聖ベルナデッタ についての話を聞きました。ここでもごミサを捧げる事ができました。パリのホテルに戻り、次の日(2/15・日)パリ空港で この巡礼最後のごミサを捧げてから、日本へ帰りました。成田空港に着いたのは、2/16・9:40位でした。そして盛岡に 戻って来ました。本当にこのルルド巡礼を通して、色々な体験をしながら神様のお恵みを沢山頂いたので、神に感謝し ます。本当にすべてに感謝!
ルルド巡礼で感動したこと:ルルドの国際ミサ:私はヨーロッパに行ったのは初めてです。だから、巡礼の経験はあまり ありません。しかし、この初めての経験で、沢山恵みを頂いたことを感謝します。特にルルドの国際ミサに参加したこと。 ミサの前に多くの信者が司祭の所に行き、ゆるしの秘跡を願う事、そして、約25000人の人々がミサに参加するのを見 てとても感動しました。やはり、ヨーロッパの人々はルルドを大切にして、深い信仰を持って、マリア様に捧げる歌と祈りを 唱えることが一つの習慣になったのだと思います。 マリア・プロセッション(ろうそく行列):ろうそく行列の時、多数の人の参加をみてとても感動しました。勿論、私の故郷で もろうそく行列はありますが、初めてこのろうそく行列に参加して人々の信仰は素晴らしいと思いました。その時、マリア様 に捧げる沢山の歌を歌いながら、全世界の教会のために祈りを唱えました。 不思議なメダイ教会でのミサ:私はこれまでも色々な所でミサを捧げたことはありますが、今回の不思議なメダイ教会で ごミサを捧げたことは、とても感動しました。理由は解りませんが、ミサの時、心の中で幸せをとても感じたのです。 このグループの巡礼の忠実と誠実:私はこのグループの巡礼者の忠実と誠実さを見て、とても感動し、また私のために 力になったのです。このグループの巡礼者は高齢者が沢山いましたが、皆さんの忠実と誠実さは、私にとって素晴らしい 体験になりました。
ルルド:現在と未来:ルルドは巡礼所として、とても素晴らしい所です。現在多くの人がルルドに巡礼をしています。 勿論、ルルドに行く巡礼者の目的も様々だと思います。しかし、確かな事は巡礼者は信仰を持ってルルドに行くのです。 では、人々の信仰を守るために何が出来るのですか。私達が知っているように、ルルドにはホテルと土産物店が沢山 あります。これは、巡礼の便利さのために準備されていると思います。ここで大切にされているのは信仰を守るために、 巡礼者の信仰がマリア様が現れたルルドに赴かせるのでしょうと私は思いました。
 《盛岡上堂教会:田畑 孝子》
この度のルルド巡礼の旅に参加させて頂きまして有難うございました。80過ぎた者が皆様のご迷惑になるのではと 心配でした。ご迷惑をおかけしたと思いますが、参加させて頂き本当に喜びと感謝のうちに帰宅することができました。 インセン神父様と京都よりの小立花神父様のお二人の神父様に見守られての巡礼。毎日ミサに与り、また一日二回 ものミサに与れた日、神父様方の声高らかに奉納される聖歌に感動しながらの巡礼でした。 岩手から18名、神奈川・京都より7名の計25名の心を一つにしての旅・・・心に残るものとなりました。話しかけられ 困っていると仲立ちして下さる外国暮らしの経験者の方がおられ助けられました。その方々にご挨拶もそこそこにパリの 空港で成田行きと関空行きに分かれ無事盛岡に帰り着きました。神に感謝!皆様に感謝!

 《盛岡四ツ家教会:照井 則子》
寒さだけを想像して行った聖地ルルドに、さんさんと春の陽射しが降り注いでいたのは、私にとり思いもかけない出来事でした。御公現の祝日にルルドの地に立てることさえ大きな恵みなのに、その上この“あたたかさ”は私の心を満たすに充分過ぎる位だった。夜のろうそく行列で私の感動は頂点に達した。各国から集った何千人もの人々が、アヴェ・マリアを祈り歌い「アヴェ・アヴェ・アヴェマリア・・」でろうそくを高く掲げマリア様を賛美する。その高揚からか知らぬ間に、私の頬に涙が伝うのを覚えた。その時自分でも分らぬなつかしさで胸がしめつけられるような気がした。ドイツ語の祈りがいつの間にか私の耳に響いていたのだ。私はドイツ巡礼団のグループに囲まれていた。暗闇でろうそくの灯りが大きな河のうねりのように見えた。
最後の巡礼地は、ヌヴェールのサンジルダール修道院だった。パリから3時間余りバスに揺られ修道院に到着した。サンジルダール修道院は、ひっそり佇んでいた。ベルナデッタが22歳の時、この同じ風景を見ていたのだと感無量だった。修道院の中は静寂そのもので、この広い廊下で彼女は冬の日にはロザリオを唱えつつ何往復もしたのだろうと想像してみた。雨足が強くなった頃私達は傘を差しながら彼女が歩いたその小道を我が足で踏みしめていた。・・・・夢ではないだろうか?
ベルナデッタが好んで祈り、そして埋葬された聖ヨゼフ小聖堂、そして彼女の大好きだった水のマリア様(お告げのマリア様に似ていると彼女が言っていたマリア様)・・・待ちきれないほどの期待があった。私の心に静かな静かな感動が沸き上がり、ベルナデッタの息吹を感じた瞬間だった。その時ふとわたしは確信した。ベルナデッタはここで幸せに満ちた人生だったと。人は愛する人の事を思い心で語り合いたい時、ひっそりと一人になりたいものだ。ベルナデッタは世の喧騒を離れ、愛する御父そして御母マリアと毎日充分に語り合えたのだから・・・・・。
シリルさんのガイド最高でした。スタッフの平井さん、佐藤ご夫妻ありがとうございました。神に感謝!!
 《盛岡四ツ家教会:武蔵 惠子》
2月中旬のルルドは、穏やかな陽射しで私達を迎え入れて下さいました。ルルドに関しては知ってはおりましたが、イメージを膨らませる事もなく参加しました。聖域に踏み入った時、私は表現出来ないほどの感動で胸が一杯でした。
2月11日は聖母御出現の日の記念ミサが聖ピオ十世地下大聖堂であり、その国際ミサに参加し、ご聖体を拝領した時は 感動で胸が熱くなりました。人種を問わず人々が感謝と賛美を捧げたこの祈りを私はわすれないでしょう。
国際ミサの前日、ルルドで沐浴があり私も参加しました。待ち時間は長いなあと思いながら腰かけていましたが、それでも今日の待ち時間は短いとの事。自分の番に近づくと少し心配・・・どのようにしてくれるのかなあ。やがて手招きでカーテンの中へ。沐浴ボランティアの方は1チーム8名と見受けました。準備が済みいよいよ中へ入ると、正面にマリア様のご像。2人のボランティアの方に促され一歩一歩進むとボランティアの方は低い声でお祈りをして下さっている事が分かりました。祈りが終わると「アーメン」と唱えたので私も「アーメン」と唱えました。沐浴はあっという間に終わり、私の身体も一気に緊張が解けました。ルルドでは毎日ごミサに与り、賛美と感謝の日々でした。そして私達はベルナデッタの眠るヌヴェールに向かいました。ルルド巡礼の旅の終わりに、ここで出会ったすべては私にとって「一期一会」であっても又とない出会いであった事を神様に感謝しております。
《盛岡四ツ家教会:内藤 れい子》
10数時間のフライトでフランスの地に降り立った。好天に恵まれ青い空と車窓から見えたなだらかな丘陵が続く牧歌的な風景。国土の80%は平野地帯とのこと。自給率の高いのも納得出来る。
ルルド巡礼のタイムスケジュール的にいえば大変濃密だった。2月11日「聖母御出現の日」国際ミサに与る。
ピオ10世の地下大聖堂・・・鯨のお腹に入ったような骨組みの天井が印象的であった。司教・司祭団2千人余、一般信徒2万5千人の参加数にびっくり!ニコラス大司教様は大変喜ばれたとの事。大スクリーン3台に映し出された映像を見ながら唱和しご聖体も頂いた。その夜21時からろうそく行列に参加する。青白く輝いているマリア様のお神輿を前方に拝見しながら、国々の言語で歌い“アヴェアヴェアヴェマリア”のメロディは手にしたろうそくを高く挙げて心を一つにしての大合唱となった。ピレネー山脈からの雪解け水で豊かなガブ川の川面にゆらめくろうそくの灯が幻想的で聖地ならではの雰囲気を味わった。
会話への準備は全く行わなかったが、“ボンジュール”“メルシー”で通した。ニコッとほほ笑むと笑顔が返ってくる。これが重要なポイントかな?(笑) 聖地で交わした笑顔の交換は心豊かな気持ちにしてくれた。
この巡礼での収穫は一人一人が自分の持てる物を出し合って(笑顔であったり、話術であったり、知識であったり、時には力であったり)自然体で一つの巡礼団として共に行動出来た事だったと思う。空港でお別れする時はまたの再会を口々にして名残を惜しんだ。沢山のプライベートミサを司式下さったインセン神父様、小立花神父様、現地ガイドのシリルさん、平井さん、佐藤さん御夫妻、ギター伴奏と主治医で大活躍の岩間さん、巡礼団の皆様に感謝申し上げます。ルルドの修道院のシスターたちにも大変優しくして頂き、美味しいお料理とワインを昼間から頂いて私の夢のような巡礼を終えた。
 《盛岡上堂教会:玉熊 伸子》
 ◎沐浴
ルルド聖域に到着した日に沐浴の恵みを受ける。若いインド系のボランティアにガウンを着せてもらい、片言の英語で沐浴室前の方と会話し肩まで恵みの泉水を体感する。
◎聖母御出現150年記念ミサ
“ノアの箱舟”のイメージで造られた地下大聖堂に2000人を超える司祭団と信者25000人が集う。
司式のニコラス大司教様は、とても喜ばれたそうです。各国主用言語でミサは進行し、説教で大司教様は「ルルドは観光化している。祈りの場所へ戻したい」と述べられたとか。
聖堂の窓側に殉教者のタペストリーが掲げられている。日本からは唯一、十字架から下ろされた“聖パウロ三木”
十字架上の26聖人を背景にした畳3枚分程の大きさです。長男の洗礼名が“パウロ三木”、感動の対面でした。
◎マリア・プロセッション(ろうそく行列)
ろうそくを高く掲げて“アヴェ・マリア”の大合唱。闇の中幾重に広がる灯。レジオ・マリアの印である“ヴェキシルム”の旗印が左右に動き、マリア様を賛美!賛美!
◎ルルド小教区教会にて
小立花神父様の指導で数回の練習をし、「キリエ」に始まる歌ミサを捧げる。その日の夕刻、小教区ミサに参加し共同体と交流。パイプオルガンの響きの中、ヴェネディクションと続き、日本人合唱隊もお礼に「ふるさと」の唱歌を歌う。小教区の皆さんにガイドのシリルさんが東日本大震災に寄せて下さった義援金のお礼を私達に代わりフランス語で述べて下さり、通訳して頂いた。
◎ベルナデッタの足跡をたずねて
パルトレス村の羊小屋・ご出現のグロット・生家・カショー(牢獄だった所)・ヌヴェールのサンジルダール修道院・居室・ご遺体の安置されている聖堂でのミサ・水辺のマリア様・・・・聖母の呼びかけに従順に一粒の麦の生涯を願った足跡を巡礼。
◎感謝とともに
昨年10月、夫が逝き、私自身もガンの告知を受けてから一年が経過、今回の巡礼が最後のチャンスでした。
主治医から病状に関する文書と投薬を受け、息子達とその嫁さん3人、妹2人に成田出発まで体調確認をされての出発でした。毎日「玉熊さん、元気?」と声を掛けて頂き、同行者全員に支えられての巡礼でした。本当にありがとうございました。
ろうそく行列の感動は、これからの生活にあって“宝”となり“糧”となるでしょう。

  シリルさん、平井さん、ルルドのボランティアの方々の上に、神のご加護が豊かにありますように。アーメン。

 

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 ヨーロッパ・カトリック聖地巡礼センター