★ エッセイ(ベルナデッタをたずねて) ★
ベルナデッタをたずねる旅     森 由美
6月の雨の朝、列車は静かにヌヴェール駅に到着しました。
 前夜のパリは、しばらく続いた暑さを冷ます激しい雷雨でした。朝には晴れて欲しいと願いつつ、5年越しの想いがかなう期待を胸に眠りにつきました。午前7時3分、灰色空のパリ・リヨン駅をあとにしておよそ2時間の旅でした。
通った大学や子どもの幼稚園がミッションスクールではありましたが、日常生活の中に特にキリスト教があったわけではない私が、このロワール河岸の小さな町を訪れることになったのには理由があります。

すべては夢から始まった
今から5年程前にさかのぼりますが、ある夢を見ました。
 私は白い壁に囲まれた部屋の中に立っていました。ふと気がつくと1メートルほど先にガラスの箱が見えます。そこにはきれいな花に囲まれて一人のシスターが眠っていらっしゃいました。起こしてはいけないと思いながら、そっと近づいてお顔を見ると、荘厳なほどに美しく穏やかでした。あまりの美しさに思わず見とれていると、私の左隣りにいた女性が小さい声でおっしゃいました。
「あの方は眠っておられるのではありませんよ。もうずっと前にお亡くなりになられたのですよ」 
どう見ても今にも寝息が聞こえてきそうです。まさか、‥‥・・信じられない。その驚きとシスターのたとえようのない美しさに、涙があふれてきて目が覚めました。
 とても不思議な夢でした。ずっと覚えている夢などめったにないのですが、この夢だけは今でもとても鮮明な記憶として残っています。このときには実際にこういう方がいらっしゃる所があるかどうかも知りませんでした。ただいつか私はそこに行ってみなければならないだろうなと漠然と思ったのを覚えています。あの部屋はいったいどこなのでしょう?あの方はいったいどなたなのでしょう?時々思い出しては気になっていました。そんなことはあり得ないと考えるのが常識です。自分の中で神聖に思えたことが単なる夢と一笑にふされてしまうのがこわくて、このことは大切に心の奥にしまいこみました。
その後信者さんの友人に尋ねてみたり、家にある資料をめくってみたりしましたが、確かなことにはたどり着けません。やはり単なる夢だったのでしょうか。いつの間にか忙しさに追われ、この夢のことは忘れてしまっていました。
 そしてこの春、この記憶が呼び起こされることになるのです。
 ふとした話題から二人の知人にあの夢の話をしたのです。すると、思いがけず、一人はお子さんが通う幼稚園の教会で巡礼ツアーのパンフレットとルネ・ローランタン著『ベルナデツタ』の本を、そしてもう一人は、聖母マリアの奇跡を特集した数年前のテレビ番組の録画ビデオを持ってきてくださいました。ここから足元にあったべルナデツタへの道が現れ始めます。まず、このパンフレットで夢の場所らしき所が実在することを知ったときにはとても驚きました。同時に、ルルドの泉とべルナデッタが眠るところが別の場所であるということもわかりました。
私の関心は、夢の中の場所と美しいシスターを確認できそうなヌヴェールのほうに集中しました。また、ビデオではルルドとヌヴェールの様子を、そして一カ月後に偶然お会いすることになる写真家の菅井日人さんを知ることになりました。本の中のベルナデッタは意外なほどごく普通の、純粋でお茶目な少女で穴た。中庭の野いちごが食べたくてわざと窓の外に物を落とし、拾うついでにいちごを取ってきてとお願いするくだりには親しみを感じずにはいられません。一度彼女に会ってみたい−、そんな気持ちが高まっていきました。                       

ヌヴェール行きを決心する
私は仕事の関係でパリには年二回出かけています。今年の夏は出張は6月末からのスケジュールを組んでいました。数年間進展のなかったことがここにきて一気に霧が晴れてきたものの、この時点ではまだ今回ヌヴェールを訪ねることは考えていませんでした。仕事の合間に時間が作れるかどうかがわかりませんでしたし、ヌヴェールの具体的な所在地がわからなかったからです。また、仕事以外でパリから一人で遠くに出るつもりもありませんでした。するとそこに友人がパリに同行する話が持ち上がり、二人ならと色々と調べ始めました。普通の観光ガイドブックには載っていなかったので、ヌヴェールが「Nevers」であることを探し出すことからはじめ、インターネットを使って列車のチケット予約、ヌヴェール、サン・ジルダール修道院の情報などを手に入れました。ところが友人のパリ行きは突然キャンセルになりました。しかし、ここまできたのも何かのご縁と、思い切って一人でも行ってみようと成田を飛び発ちました。

 パリへはベルギーでの仕事を終えてから入りました。
 カタリナ・ラブレと不思議のメダイ教会のことも巡礼ツアーのパンフレットで知りました。リュ・ドゥ・バック140番地。地図を見ると必ず足を運ぶお店のすぐ近くのようです。ヌヴェール行きの前日、たまたま時間が空いたので訪ねてみることにしました。何度も通ったことのある通り。ここに教会があることをずっと見過ごしていました。門をくぐって中に入ると、右手に水色と白のモザイクが美しい聖堂があります。聖母のように優しく明るい雰囲気の聖堂です。ここでもガラスの廟の中に聖カタリナ・ラブレが眠っていらっしゃいます。もしやと思い近くでお顔を拝見しましたが夢のお方とは違うようでした。
 メダイが欲しくて売店へ入ると、日本に長く赴任していらしたというシスターが日本語で聖カタリナ・ラブレのことなどをとても親切にお話してくださいました。帰るときに、シスターにメダイの祝福をお願いし、一緒に聖堂へ向かおうとしたところ、ちょうど神父様が通りかかられました。運良くその場で祝福を授けていただくことができました。友人達に素敵な贈り物ができました。

ベルナデッタが呼んだのかも知れない
雨のヌヴェールは、静かで小さな田舎町という印象でした。朝だったせいか人影はほとんどなく、雨をはねて走る車の音だけが耳に入ってきます。突然の朝の雷に終われるようにサン・ジルダール修道院へ急ぎました。すれ違う人もなく心細い思いでした。修道院の門が見えました。横断歩道の信号が変わるのが何と長く思えたことでしょう。門の中には巡礼でやってきた数人のお年寄りたちや、引率の先生らしき人に連れれられた子ども達の姿がありました。
ベルナデッタはどこでしょう? あたりを見回していると案内所にいらしたご婦人が出ていらして英語でお声をかけてくださいました。
「何かをさがしていらっしゃいますか? どちらからいらっしゃいましたか?」
日本からのたった一人の訪問者は稀なようでした。
「では、日本から来ているシスターがいるので今呼んであげましょうね。どうぞこちらへ入ってお待ちなさい」
修道院のロビーへ招き入れてくださいましたが、残念ながらそのシスターはお出かけのようでした。
「ごめんなさいね。きっとお昼頃には戻ってくるでしょう。あなた、昼食はどこかでご予定でも?」
「いいえ、別にありません」
「では、ここでお昼を食べていかれたら?」
この短い会話の途中で、ロビーに小柄な日本人女性が入ってきました。今まで会話をしていたご婦人がフランス語で彼女に何かを話しています。「こんにちは。日本から一人でいらっしゃったんですって? 信者さんですか?」
その方が日本から赴任されているというシスターでした。ショートカットにパンツスタイルの私服でしたので、すぐにはシスターとわからず、あわてて自己紹介をしました。
「いつもならこの時間は町の学校に出かけていてお昼過ぎまで戻らないのよ。今日は日本から巡礼団の人たちが見えるのでその前にちょっと町で用を済ませて今戻ってきたところなの。とてもラッキーだったわ」
優しくて可愛らしいお声です。そのお声に安心した私は、信者さんでもないのに一人でここまでたずねてきたいきさつをすべてお話ししました。
「そういうことってあるのねー。きっとベルナデッタがあなたを呼んだのかもしれないわね」
シスターはごく自然に私の話を受け止めてくださいました。東京の住まいがたまたま近くということもわかり、初対面にもかかわらず、ほどなく打ちとけさせていただきました。それを許してくださるような方でした。

 

ベルナデッタが呼んだのかも知れない
髭の事務局長に修道院での昼食の手続きをとってくださると、
「ではベルナデッタの歩いたところを一緒に歩きましょうね」 
シスターのあとについて中庭に面した明るい回廊を通り、最初に案内をしてくださったのはベルナデッタの眠る聖堂でした。扉を開くとミサの最中でしたので、ベルナデッタとの対面は最後にすることにしました。
次に向かったのは、ルルドから到着した翌日、少女ベルナデッタがおおぜいのシスター達の前で聖母ご出現の話をしたというお部屋でした。
「ベルナデッタがみんなの前でルルドでの話をしたのはそれが最後。それを区切りとして過去を忘れて修練に入るようにという修練長のおはからいだったそうよ」
頬を紅潮させた少女がたどたどしい標準語で一生懸命自分の見たことを伝えようとしている様子が目に浮かびました。
「雨があがったようだから、順路は逆になってしまうけど外へ出てみましょうか」
回廊から手入れの行き届いた中庭へ出て、下に降りていくと葡萄などの畑もある広いお庭が広がっていました。さらに下へ。レンガの塀にぶつかるとその隅に、水の聖母像が楚々とたたずんでいました。ベルナデッタが暇を見つけてはここに来て祈っていたというお気に入りの場所。大きく両手を広げたマリアさまは、そのふところにいつでも優しくベルナデッタを迎え入れたのでしょう。安心感を与えてくださるマリアさまでした。
ベルナデッタが埋葬されていたという聖ヨセフ小聖堂に立ち寄ってから正門に向かいました。途中、巡礼に訪れた人々と挨拶をかわします。
「ベルナデッタはルルドから傘とたった一つのボストンバッグを持ってこの門をくぐったのよ。7月7日だったからちょうど今くらいのころね」
門を入り、最初にベルナデッタの目に飛び込んできたのは壁に刻まれた「神は愛です」ということば。それを見て彼女はあらためて神に仕える喜びを感じたそうです。
「門をくぐるということは、色々な意味で新しい世界に一歩踏み出すということ。ベルナデッタにとっては、聖母のご出現を見たというルルドの少女から一シスターとしての人生が始まる第一歩だったのよ」
シスターのこのお言葉は心に焼きつきました。大きな勇気と決意を持って門をくぐらなければならない場面は誰にでもあります。ふと自分にもあてはめて考えてみました。
入口横の小さな資料館で好きだったもの。ベルナデッタが持ってきたボストンバッグ −約130年前でもおしゃれな色合いでした。懸命に作った形跡のうかがえる彼女の手芸作品− 決して器用ではなかったようで一層の親しみを感じました。
それらを見てから修道院内に戻りました。階段を上がって入ったお部屋はベルナデッタが息をひきとった病室であったところでした。光の差し込む大きめの窓と白い壁に囲まれた清潔感のある部屋なのですが、雨のために締め切っていたせいでしょうか、ちょっと胸が苦しくなりました
ベルナデッタをたずねる旅はつづく
右手にいらっしゃいました。ガラスの廟にはアールヌーヴォー調の素敵な装飾がほどこされています。そっとお顔を拝見しに近づいてみました。まるで白百合のような美しさ。「清廉潔白」という見えないヴェールに包まれて、安らかに眠っていらっしゃいます。まわりの様子はちょっとちがうものの、この心を打たれる美しさは夢でお会いしたあのシスターに違いありません。
「一人でお話したいでしょう」
シスターのお心遣いでしばらくベルナデッタの前に座り、なぜ私がここに呼ばれたのかをベルナデッタに訊ねてみました。彼女は何も答えてくださいません。5年越しの疑問を解決できないまま、時間だけが過ぎていきます。結局その場で答えは得られませんでした。
約束の時間になったのでベルナデッタにお別れを告げ、後ろ髪をひかれつつ食堂に向かいました。そこで京都からいらした巡礼団の方々にお会いしました。私はノルマンディー地方で農業を営んでいるという素朴なご夫婦と同席でした。片言のフランス語と片言の英語、身振り手振りでコミュニケーションをとりながら、心温かい昼食を過ごすことができました。あのお二人の穏やかな笑顔を忘れることができません。このときほどフランス語の不勉強を悔やんだことはありません。
そろそろ列車の時間が近づいてきましたずいぶんと長居をしてしまいました。食堂を出たところで、これからサン・ソーシュへ出かけるという京都の巡礼団の方々と再び一緒になりました。その一員で、東京の住まいがご近所ということでお声をかけてきてくださった方がいらっしゃいました。あの録画ビデオに出演していらした菅井さんでした。帰国後に開いた菅井さんの写真集。生きる喜びに満ちた人々の表情、光のあふれる風景、いずれも力強いメッセージが伝わってくる作品でした。ベルナデッタのように小柄で優しいシスターにまた来ることを約束して、駅に続く道を戻ります。雨はすっかり上がってしました。心細さもすっかり消えていました。

夢から始まったたび重なる偶然に導かれるようにしてここまで来ていました。その結果何がわかったのでしょう。1つの使命を果たせたような安堵感はありますが、残念ながら今でもその確かな意味を理解できるまでには至っていません。夢を見てしばらくの時と同じです。きっとこれからその答えがわかるときが訪れるのでしょう。この旅行記も菅井さんからのご紹介がきっかけで、依頼をお受けする運びとなりました。少なくとも、実体のないはずの夢が多くの思いがけない人々や神聖なるものとの出会いを与えてくれたことは事実です。これらは今後の私にとって貴重な財産になることでしょう。
次はルルドへも足を伸ばしてみたい−。私のベルナデッタをたずねる旅はまだまだ続きそうです。

(「ルルド・ヌヴェール巡礼の旅」 聖母教育文化センター より)