ルルドへの旅 
(2004.8.23 〜 29)

 

宮津組(レデンプトール会瀬戸高志神父様、ヌヴェール愛徳修道会Sr.小川英子様他10名)

8/23(月)
  5:00 宮津発(レンタカー)
  9:00 関西空港集合
 11:35 関西空港発 ― パリ(シャルル・ド・ゴール空港まで9,634km、
時差7時間、エールフランス航空AF291便)
  17:05 ド・ゴール空港着
  18:45 ド・ゴール空港発(専用バスでパリへ)
        凱旋門、エッフェル塔、ナポレオンのお墓の建物、去年のサッカー・
ワールドカップの会場をバスの中から見る。
外は26℃。
マロニエ並木。
  19:70 ホテル着 ― 夕食、翌日の昼食を近くのマーケットで買う。初めて
「ユーロ」を使う。

 8/24(火)
  10:10 パリ(モンパルナス駅)発 TGV 8号車No.63 - 83 タルベ行。
  13:05 ボルドー(ここまで3時間ノンストップ)10分止まる。
  15:42 ルルド着
  16:15 修道院着  タクシー5人乗り。12ユーロ。
  17:00 集 合(オリエンテーション)
  19:00 夕 食(〜19:45)
  20:00 ミ サ(修道院)
        マッサビエルの洞窟、泉と水浴場を見る(初めて泉の水を飲む。感激!!)
  21:00 ローソク行列(20:50〜22:30)
          ローソク1本0.45ユーロ。(修道院にて)
  23:30 就 寝

 8/25(水)
   6:00 起 床、シャワー
   7:30 朝 食
   8:00 修道院を出発(全員)
   8:45 インフォメーションセンターへ
        日本語による「ベルナデッタ」の紹介ビデオを見る。
            ↓ その後歩いてルルド市内へ。
・ベルナデッタの生家(ボリーの水車小屋)

・ベルナデッタ一家の家(父が働いていた水車)
  ベルナデッタがヌヴェールに出発する際に家族に別れを告げた
台所あり。
・LE LAHOT カショー(牢獄跡)
  1857年の冬から約1年間ベルナデッタ一家が住んだ所。
ヌヴェールの若い日本人志願者の方がいらっしゃる。
        ・ルルド小教区教会(サクレ・クール教会)
           ・洗礼盤(1844.1.9.ベルナデッタが洗礼を受ける)
           ・黒いマリア像(右手に)
・昔の司祭館
          ルルドの主任司祭であったペイラマル神父に伝えた時の司祭館。
          「インマクラダ・カウンセプシウ」(無原罪の御宿り)と何度も口
ずさみながらここまで来た。
        ・ホスピス(病院)
          ヌヴェール愛徳修道会の修道院に入るまでの間暮らす。
  12:00 昼 食
  13:00 修道院出発
  13:30 水 浴  並び始める。マラーズオントレ(病人入口)の所で。
  14:00 水浴開始
  15:10 下野、雅子終わる
  15:30 斎藤、友子終わる
        外に神父様、シスターいて下さる。
        共にグロットへ。
  15:40 グロットへ。 車椅子の列に。皆の手紙を入れる。
  18:00 修道院でミサ
  19:00 夕 食
  20:00 修道院を出て、お土産の水汲み。
        ローソクの行列を少しだけ見て帰る。
        車椅子の2倍の数のボランティアがおられる。若い人も年配の人も。
        少し雨がぱらつく。急いで帰る。

 8/26(木)
   6:30 起 床
   7:30 朝 食
   8:10 十字架の道行き(山道)
   9:30 冠の聖母の下に集合
  10:00 クリプト(地下聖堂)右のシャペル・サンミッシェルにてミサ
        (瀬戸神父様は朝食後すぐから水浴のために並び始め、10時からミサ
なのですと言って早くしてもらわれる)
  10:15 ミ サ(〜10:45)
  12:00 昼 食
  13:00 外 出
        聖ピオ10世地下大聖堂、聖ヨゼフ、聖ベルナデッタ教会、
その後お土産屋へ
  17:15 シャワー
  19:00 夕 食 (Sr.小川、午後3時間待っても水浴できなかったとのこと)
  21:00 ローソク行列(〜22:00)

 8/27(金)
   4:00 起 床
   5:40 ホテル発
   6:00 グロットでのミサ。急いで走って。オランダ語、瀬戸神父様共同司式
3人で。
最後の水を汲む。急いでホテルへ。
   6:55 朝 食
   7:10 外に集合。タクシーに5人ずつ乗る。10ユーロ。
   7:41 TGV ルルド発。5号車No. 64 - 82。
        昼食は修道院で作ってくださる。
        (8:10 PAO ポー駅)
  13:10頃 パリ着
        ホテルへ。荷物を置いて。
  15:15 パリ見物に。 ◎注意事項  ・パスポートは置いていく。
・お金は1万ぐらいのみ。
        地下鉄(メトロ)の回数券(カルネ)を皆で買う。
           1セット=10.5ユーロで、皆で5セット買う(52.5ユーロ)。
切符1枚でどこへでも行ける。
        @不思議のメダイ教会(聖カタリナ・ラブレ)1830年にご出現。
            ↓ 地下鉄
        Aノートルダム大聖堂(1320年完成)
            ↓ 地下鉄
          モンパルナス駅 → ホテルへ。 1班(ホテルで夕食)
            ↓ 地下鉄
        Bサクレ・クール寺院(2班)(1919年完成)
            ↓ 地下鉄
          リヨンにて夕 食
            ↓ 地下鉄
          ホテルへ

 8/28(土)
   5:00 起 床
   6:35 ホテルの朝食
   7:30 レデンプトール会修道院
        ヨーゼフ・トーリン(パリ・リヨン管区長)、瀬戸神父様共同司式ミサ
         「セニョール」(主よ!)という言葉が心に響く。
   9:30 ホテルフロントに集合。
   9:50 ホテル発(バスで)
  10:30 空港着
  11:15〜12:00頃まで自由(買物)
  12:50 乗り込み開始。
  13:35 パリ発。(シャルル・ド・ゴール空港)

 8/29(日)
   8:30 関西空港着。
        行きは海抜11,887mあたりを飛び、帰りは9,000mあたりを飛んだ。
        飛行機の外は−57℃の所もあり、窓の外が凍りついていた。
  12:00頃 無事家に着く
  12:30頃 宮津教会にて感謝のミサ
          全員元気にこの旅を終えたことを、神に感謝。

コムユニティワールド松村さん
 すばらしい旅を企画して下さり本当にありがとうございました。
                     記録 杉本友子


ルルドへの旅
杉本友子

 全くこの様なすばらしいルルド巡礼の旅に、私も参加できるとは、3人の親(杉本の両親と実母)の介護中は想像もできませんでした。特に去年の11月、母が自宅でルルドの水をいただいたのを最期に、父の腕の中で亡くなったことを聞いたときには、悲しいというよりも「ルルドの聖母」の優しいはからいにただただ感謝するばかりでした。東京に住む雅子が髄膜炎になったのが平成12年1月20日で回復が2月11日、実母の入院が平成15年1月20日で回復が2月11日。全く同じルルドの聖母の祝日に癒されたことが、実際に我が家の2人にあったので、いつの日か夢のように「ルルドに行きたいなあ」と思い、「ルルドの聖母」に対しての感謝の心が、特に深くなっていたのでした。そんな折も折、ルルドの巡礼の話が持ち上がって思いがけず主人の賛成も得られ、雅子と共に急に行ける運びとなりました。
 パリからTGV(フランスの新幹線)に乗って一路ルルドへ。どこまでも続くひまわり畑やとうもろこし畑、教会を取り囲む様にして、町や村が点在している。牛や馬の放牧地もゆったりと広がっている。こんな風景が5時間半。急に山が近くなってきたと思ったら、そこがルルドでした。
 
 ルルドでの1日目の朝。インフォメーションセンターで日本語によるベルナデッタの紹介ビデオを観ました。1858年2月11日(木)に一回目のご出現に遭うのですが、ベルナデッタはこの年の1月から文字を習い始めたのだそうです。聖母のメッセージは祈り
・ つうかい・聖体への招待です。
@ 祈りへの招待とは、
難しい祈りではなく、普通の母親の様に、ベルナデッタと共に罪人のために祈りなさいと力説された。
A つうかいへの招待
「つうかいしなさい!つうかいしなさい!つうかいしなさい!」―――
「罪人のためにこの大地に接吻しなさい」――――
この様に聖母は子供でも果たせることを望んでおられる。誘惑に負けないこと、誘惑に打ち勝つこと、自分を捨てて私について来なさい。つうかいによって、もっと神に近づくのです。神に対してもっとつうかいすること。私たちも罪人であることを認めることが大切です。
B 聖体への招待
聖母へ祈ることを、全ての人が神にたち返ることを祈りなさい。

「今日ここにいらっしゃったのは、キリストが招かれたのです。これがキリストの道です。ベルナデッタはどんな取り調べにも終始一貫した態度で聖母の言葉を忠実に伝えました。ベルナデッタはキリストの忠実な使徒でした。」
このビデオの後、ベルナデッタの生家や、修道院に入る前、家族と最後のお別れをした家等を見て周りました。小さな小さな家でした。小さなテーブルに小さな暖炉、その暖炉には、くべる薪さえなかったのです。だから薪を拾いにマッサビエルの洞窟に彼女は出かけたのでした。2月という寒い時期にも関わらず…。

次に、
 水浴はとても感動的でした。毎日午前9時〜11時と午後2時〜4時の間に行われるのですが、およそ3時間くらい前からグループごとに祈ったり、聖歌を歌ったりして待ちます。大阪万博のように長い長い列です。待っている間も聖歌隊があって、ずっと外国人の足元をみてましたら、ソックスにつぎがあたっていました。ボランティアの若い女性はそれを聖母の足に履かせてあげるのかの様にゆっくり、丁寧に尊厳と愛をもってそのソックスを表向きになおし、やさしく履かせてあげられました。とっても若い方だっただけにびっくりいたしました。世界中からこの水を求めて訪れる人々を、あわただしくではなく、一人一人に心を込めてお世話して下さる多くのボランティアの方々。本当に、身も心も生き返る命の水でした。この後、グロット(洞窟)へ行きました。どんな時間に訪れても大勢の人がその前で祈ったり、何メートルも並んで順番を待っておられます。私たちも待って、待望のグロットの中に入らせていただきました。いずみの源泉となっている所があります。また、マリア様が出現なさった岩の下あたりは、150年の人々の巡礼の手で、岩がツルツルになっています。中央祭壇の後ろにあまりに大きな箱があり、皆さんから預かった聖母への祈願文を奉納いたしました。

・ 朝まだき暗きうちより並びいて水浴の列聖歌を歌う
・ 固まりし自分を捨てて新しき生命に生きる恵みのルルド
・ さまざまのローマンカラーの人の目の笑み返しくるグロットあたりで

ルルドでは毎晩夜9時からローソク行列が行われます。(ここでは夜8時ごろからやっと少しずつ薄暗くなるのです)手に手にローソクを持って参加します。奥の中のマリア様を先頭にして幾千人かのローソクを持った人々の波。まず車椅子の長い長い列。その後世界中からの人々がそれに続きます。ロザリオの祈りは先唱が何語なのかもわかりませんが、主祷文、天使祝詞へと続きます。一連が終了するたびに聖歌があり、「あめのきさき天の門、雨の星へと続きます」までは各国語で、つぎの「アヴェ、アヴェ、アヴェマリア」は世界中一緒で、右手を高く掲げて共に大きな声で歌い、同じ一つの心でマリア様を賛美します。ローソクに揺れるすべての人の顔が輝いて見えます。この広場の小さな弱い人々の一人一人が「平和」のメッセージを心にともして、そして、又、私もそうありたいと願いました。

・ 幾千のローソク揺れて歩みゆくルルドの聖母の恵み讃えて

ルルドでは、「十字架の道行き」が等身大の彫刻で表現されていて、山道を歩きながら祈れるようになっています。神父様方と一緒に祈る各国のグループや日曜学校の生徒らしきグループ、また家族等々、いろいろなグループが祈っておられました。私たちも参加して歩みました。第9留「イエス、3度倒れられる」のモニュメントの所に、宮津から持って来ていたルラープ神父様のくるみとくるみの葉っぱをほおり投げました。次宮津からルルドを訪れた方、第9留のモニュメントの辺りをよく見てくださいね。くるみの若葉が出ているかもしれませんね。出てくるといいなあ。

 最後の日の朝、待望のグロット(洞窟)でのごミサに参加できました。オランダの神父様と瀬戸神父様との3人の共同司式でした。一番前の大ローソクの近くの席にオランダ人と日本人のみ座らせていただいて、まだ薄暗い、冷気漂う中、セーターを着込んで恵みのミサでした。中央の司祭がほおずりされているのを見て「あ、平和の挨拶なのか…」と隣人と握手。握手。握手。ありがたいお説教は「マリア」と「ベルナデッタ」の2語しかわからず…。大変。私はマリア会の名簿をひざの上に置いて皆様お一人お一人のことお祈りいたしました。
 
・ 別れ際「Come back」と言ひてひしと抱く修道女(シスター)のあのぬくもり冷めず

瀬戸神父様、シスター小川、下野さん、斎藤さん、三谷さんのご家族。いろいろとありがとうございました。祈りで私たちの旅を支えてくださった皆さんありがとうございました。心から感謝いたします。

 


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Produced by Lourdes Pilgrimage Center 2005 october