〈髙山右近〉 信仰ゆえに日本を追われ マニラへ

1615年2月3日、右近さんは、ここマニラの地で召されていかれました。いつの日にか天国でお会いしましょう!

行ってきました! 「髙山右近の足跡を訪ねるマニラの旅」

髙山右近は、400年前、信仰ゆえに日本を追われ、信仰ゆえにマニラで大歓迎を受けましたが、厳しい追放の旅の中で、肉体的には限界に来ていたようです。マニラに到着後、40日ほどで、ひどい熱病にかかり、2週間後の1615年2月3日、静かに天に召されていきました。63歳。12歳で洗礼を受けて50年の生涯でした。 これまで、1998年と2006年の2回、"髙山右近・マニラツアー"に参加しましたが、いずれも団体ツアーでしたから、自分が思うようには、時間をとってはもらえませんでした。
今回は、初めての妻を案内するべく、夫婦二人での「髙山右近・マニラの旅」を計画しました。
何しろ、単独での海外旅行は初めてのことでしたから、空港でまずどこに行って何をするのか ―ということからして、よくわかりません。旅行社「コムユニテイ」の皆さんや、何冊かのガイドブックのお世話になりました。ありがとうございます。
十分、準備して出かけていったつもりですが、それでもいろいろハプニングがありました。でも、その都度、いろんな方々に助けていただいて、すばらしい旅となりました。
今回の旅では、髙山右近さんのマニラでの歩みを、じっくりと、時間をかけてたどっていきたいと思いましたので、マニラのホテル(Palm Plaza Hotel)に、3連泊しました。
  
  ・ 一日目(4月12日)  [マニラ着]  ホテル周辺、マニラ湾海岸 散策
  ・ 二日目(13日)    イントラムロス / サンチャゴ要塞
        パッシグ川上陸地点 、マニラ大聖堂(大司教座聖堂)
        総督官邸(パラシオ・レアル/王宮)、ポスティゴ門(パラシオ裏門)
        王宮通り(レアル・デル・パラシオ通り)
        サン・オーガスチン教会及び修道院(アウグスチノ会)
        サン・ホセ学院及び聖アンナ教会 (イエズス会)
        サン・ミゲルの家 (Casa San Miguel/右近の居住地)
        内藤ジュリア・女子修道院跡
  ・ 三日目(14日)   ディラオ広場(比日友好公園)・髙山右近像
        ケソン市 ノバリチェス 「聖心修練院」墓所 / クリプト(crypt)
  ・ 四日目(15日)  ホテル周辺(教会やマーケット)、マニラ湾海岸 散策

他の観光地には、どこにも出かけていませんが、マニラでの右近さんを覚えながら、それぞれの場所で、じっくり時間をとって、すごすことができました。
このような機会を実現するためにサポートしてくださった「コムユニテイ」の皆さんに、そして旅行中いろいろ助けていただいた、すべての方々に心から感謝します。ありがとうございました。
 神の祝福が豊かにありますように。

       灼熱の 右近歩みし 道を行く    (マニラ)
       炎昼の 親しき民や 右近像 
       隔て成す イントラムロスの 灼くる壁 
       夏シャツの 「髙山右近」 妻の筆
       ノバリチェス 笛に答えて 風涼し  (ケソン)   

  ※ ホームページ 「髙山右近研究室・久保田へようこそ!」 も、ご覧ください。                        久保田 典彦&忠子


 


マニラ湾 髙山右近の、マニラでの足跡を訪ねる旅に、夫婦で出かけてきました。
(3泊4日)


イントラムロス・サンチャゴ要塞 日本を追放されてきた右近さん達一行を、
礼砲をもって歓迎しました。

パッシグ川・上陸地点 人々の歓迎を受けて、王宮に向かわれます。

マニラ大聖堂 王宮から宿所に向かう途中、馬車を降りて、
祈りの時をもたれます。

サン・オーガスチン教会 つづいてここでも、祈りの時をもたれます。

右近さんが祈られた当時の建物が、唯一現存している貴重な場所

マニラの髙山右近像 比日友好公園(ディラオ広場)に建てられています。
[高槻城跡公園のものと同じ像]


ケソン市ノバリチェスにある「聖心修練院」の墓所 
ここに葬られている可能性が大きいのです。


右近さんを通して、多くの出会いと交わりが与えられました。ハレルヤ!

- ヨーロッパ・カトリック聖地巡礼センター -