「イスラエル聖地巡礼を終えて思うこと。」
申 繁時神父

クリスマス、そして新年おめでとうございます。私たちは、2011年の新しい年を迎えました。
何よりも今年が良き年になるようにお祈りしたいと思います。
さて、私は昨年(2010年)の11月11日から19日の9日間にかけてイスラエルの聖地巡礼に行ってまいりました。それで、新年早々にあたりその時の報告とレポートをという依頼を受けましたので、少し思い出しながら書かせていただきたいと思います。・・

11月11日の朝方、関西空港から韓国経由(韓国での飛行機乗換待ち時間に空港内の祈祷室で、巡礼の旅の無事を祈って最初のミサをささげました)でイスラエルのテルアビブに到着しました。日本との時差は−7時間です。到着後はスケジュールに沿っての行動となります。その日(1日目)はテルアビブで一泊となりました。
あくる朝、まずメギドの丘(アルマゲドン)を目指します。続いてカルメル山のムフラカの丘に着き「聖エリア修道院」を訪ねました。預言者エリアの像を目の前にし、ガイドさんの説明で印象深かったのは、エリア自身が弟子を集めて塾を開いていたことを知り驚きました。それからカルメル修道院の「聖マリア教会」でミサをささげました。ちなみに私が共同司式の司式司祭の任を行いました。イスラエルでの最初のミサでもあったので緊張は隠せませんでした。少しずつ本当にイスラエルに来たんだなという実感の2日目でした。

3日目に入り、いよいよイエス様の育った町「ナザレ」を目指します。最初に朝一番で「カナの奇跡の婚礼教会(聖フランチェスコ教会)」を巡礼し、その後「聖ヨゼフ教会」にてミサをささげ、「聖ガブリエル教会」、「マリアの泉」、「受胎告知教会」を巡礼して行きました。印象深かったのは、小さな町ナザレにこんなにもたくさんの人たちが全世界から巡礼に来ていることにただただ驚きでした。ナザレを後にしてカぺナウムに向かい「聖ペトロの家教会」、「イエスの礼拝堂(カぺナウムの会堂)」を巡礼し、いよいよイエス様の宣教の中心でもある「ガリラヤ湖」に到着しました。遊覧船に乗り込み対岸まで約40分の船旅です。船に乗ると船長さんがどこから来たのかと尋ねるので、「Japan」と答えると少し小細工したのち、君が代が流れだし船先にある棒に日本の国旗を手動であげてくれました。これには驚きとサービス満点の歓迎に皆さん心も和みました。
対岸に着くと昼食でしたが、さすがにここでは大きな魚の料理がメインディシュでだされました。最初の弟子たち聖ペトロたちが漁師であったことをあらためて体験したような気持ちになりながらの食卓でした。次に「5つのパンと2匹の魚の教会」を訪ね巡礼後、今日の予定は終了です。
4日目、巡礼も半ばに差しかかりガリラヤ湖畔にある「山上の垂訓教会」でのミサでスタートしました。ミサ後、イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼を受けたヨルダン川に行き「イエスキリスト洗礼の場所」を巡礼します。するとちょうど他国の団体が洗礼式のような式をしていました。どうも洗礼の更新式?ではないか、ということでした。 
なんにしても全身ドボンと一人ずつ水に浸かる姿をリアルに見たのは初めてでした。
そして、ローマ遺跡「ベント・ジョアン」を見学し、死海文書で有名な「クムラン洞窟」を見学しました。羊飼いがたまたま見つけた死海文書。新しい聖書の大発見か!ということですが、反面、死海文書以前の聖書と死海文書とはかなりの確率で同じであった、ということが言われているとガイドさんの説明を聞き、そのことを発見現場で聞かされることは、より聖書への関わりが密接に感じられました。夕方になり死海の湖畔での宿泊となります。ホテルに着く前に死海での浮遊体験をしました。完全に身体が湖に浮かびました。髭そり痕が塩水に強烈に沁みたことと、浮いたままでは全く泳げないことが印象深かったです。

5日目は「マサダ要塞」見学をスタートに、「エルサレム」に向かいます。エルサレムに入ると観光バス内に、エルサレムを象徴する曲をバスの運転手さんが流しだしたので、聖地エルサレム入城の雰囲気が高まりました。エルサレムでは最初にエンカレムの「マリア訪問教会」で、同じ巡礼の旅に2日前に出発していた広島教区の皆さんとの合同ミサがささげられました。その中で広島教区の早副穣神父さんの金祝(司祭生活50年)の祝いがサプライズとしてささげられました。私自身は早副神父さんとの接点はありませんでしたが、伝説の神学院院長とお聞きしていたことと、ご高齢でありながら車いすでイスラエルの聖地巡礼に来られていたことに、あらためて頭の下がる思いと神父魂のようなものを感じました。(「これからもお元気でいてください」お祈りします。)
ミサ後「洗礼者ヨハネ誕生の教会」を巡礼しました。夜は広島教区の皆さんと合同夕食会で5日目を終えました。

6日目はいよいよ巡礼の中心でもある「エルサレム旧市街地巡礼」です。 「嘆きの壁」、「ヴィアドロローサ(悲しみの道)」、「エッケ・ホモ教会」と城内を巡礼して行きます。
イエス様の疑似体験なのか大きな十字架を担いで団体行動する他国の人たちを見つけ巡礼の祈りの仕方に驚きました。ガイドさんの盗難には気をつけてください!の指導にも聖地といえども現実に引く戻される思いがしました。そして、バスで移動後「鶏鳴教会」でミサをささげます。ここでは私自身の2回目の司式司祭の任を体験しました。 3回鶏が鳴いた時、聖ペトロは号泣してイエス様をしっかりと理解した場所でのミサなので、感慨深いものがありました。その後「イスラエル博物館」を見学しイスラエルの歴史を深めることとなりました。

7日目、巡礼の旅も終盤とともに佳境となります。イエス様の亡くなられた「聖墳墓教会」に行きミサをささげます。「ゲッセマネの園(オリーブ山)」、「ゲッセマネの岩屋」、「万国民教会」、「主の涙の教会」、「昇天教会(ゲッセマネの園)」、「最後の晩餐の部屋」と巡礼は続きました。「最後の晩餐の部屋」では皆さんで賛美歌を歌い心がひとつになり祈ります。また「ダビデ王の墓」にも行き、「嘆きの壁」の時もそうでしたが、墓までの入り口が男女別々に分かれて巡礼させられました。必ず帽子を着用して祈ることが祈りの礼儀であることを学びました。
そしてイエス様が裁判にかけられた後、投獄された場所にも行き、地下の狭く暗い牢獄に入ると、聖書の箇所を読み黙想しながら、ここで死を待つイエス様の祈る姿を想像し、私たち人間の罪をすべて負ってくださったことを感慨深く感じてきました。

8日目はイスラエルを後にする最終日です。もう一度「最後の晩餐の部屋」でのミサが朝一番の巡礼でしたが、少し予定が変更されて最後の晩餐の部屋の近くにある「フランシスコ会修道院」にてミサをささげることになりました。全世界から巡礼に来られることもあり予定変更はどうしても仕方ないようです。その時の修道院でのミサは、今も続く全教会のミサの始まりの地(聖地)で行ったことを思うと、一段と緊張と静けさの中で、自分自身が司祭として、ミサの原点の場所にいることが不思議に思えてきたことと、これからもミサをささげる度にこの風景を思い出すように感じてきました。ミサ後は、エルサレムを後にして最終巡礼地「ヤッフォ」に向かいます。テルアビブに一度向かい、それから
ヤッフォに入ります。地中海沿いにある町並みはさまざまな文化(ヨーロッパ、ギリシャ、中近東)の片鱗を残していました。「聖ペテロ教会」、「皮なめしシモンの家(改装中の為外観見学)」と巡礼を進めます。最後はローカルレストランでイスラエルの聖地巡礼の最後の晩餐で締めくくりとなります。
テルアビブ空港を発ち韓国経由(初日の祈祷室で巡礼の無事に感謝して最後のミサをささげます)で乗り継ぎ、
9日目にあたる関西空港に無事に到着し無事に解散しました。
(皆さん、お疲れさまです。)
 この報告とレポートの最後に、今回の「イスラエル聖地巡礼」で感じ思うことは、何よりも「聖書は生きていた!」ということです。神学院で学び聖書に触れてきましたし、現在も神父として聖書の勉強会をしていますが、それはどこかで平面的にしか見ていなかった気がしたからです。そうではなくて今も「ナザレの町」があり、「エルサレム」で祈りをささげている人たちがいて、そこで生活し生きている人々がいることにあらためて触れることによって、「今も聖書は生きている」ことに気づかされたということです。このことはやっぱり現場に行きその場に留まることから始めないと、信仰の世界も、信仰の深まりも見えてこないことを実感しました。そして、ユダヤの歴史、日本の歴史、世界の歴史と歴史は変われども、民族を超えてひとつになろうとする人の子の心、「イエスの心は変わらない」ことを痛感しました。
私たちの神様は、生きている私たち人間を「どれほど愛しているか」ということを黙想しました。
追伸として、同行した村田師、ヤマス師に感謝し、巡礼をともにした堺ブロック、今市教会ならびに参加された皆さん、現地の日本人のガイドさんにあらためて感謝したいです。
神に感謝。


ー ヨーロッパ・カトリック聖地巡礼センター −