トルコ巡礼紀行文

期間:2014年10月9日(木)−16日(木)

吉田顕朋 記

 

  • 2014年9日(木)―16日(木) 8日間 TK047関西発−TK046着   TK053成田発―TK052着
  • 巡礼地:イスタンブル―トロイーアイワルクーエフェソーパムッカレーコンヤ(イコニオン)ーカッパドキヤーイスタンブル  

藤田薫神父様(埼玉・所沢教会)とフレデリック神父様(広島・福山教会)に同行して14名のカトリック巡礼者(玉造教会から4名、埼玉・秩父教会、春日部教会・所沢教会から各1名、福山教会から3名、貝塚教会から1名、登美ヶ丘教会から3名)が聖霊に導かれて、世界遺産のイスタンブルをスタートし、トルコの中心部カッパドキヤまで6日間にわたり計2400KMをバスで激走しました。毎日イスラム国の古代の素晴らしいカトリック教会で喜びと感謝のうちにプライベイト・ミサに預かりました。現在、トルコはイスラム国であり、カトリック信徒は全人口の1%(75万人)に満たない国であります。聖パウロが2000年前、AD40−50年、バルナバを連れて第一回目の宣教旅行に出かけ、続いてAD53−58年第三回目の宣教旅行ではテモテとテトスとともに激しい迫害にあいながら熱心に宣教した聖パウロや弟子たちの聖地を巡礼いたしました。聖パウロが3年ほど滞在してフィリピの信徒への手紙、フィレモンへの手紙、コリントの信徒への手紙、ガラテアの信徒への手紙を書いていたエフェソ、ヒエラポリス、ラオデキヤ、パムッカレ、アンテオキヤ、イコニオン(コンヤ)、リストラ、カッパドキヤの聖地を巡礼し、聖パウロの勇気ある伝道を思いめぐらしました。最後の巡礼地イスタンブルの聖霊降臨の教会(セント・エスプリトカテドラル)は聖パウロの遺産として残っている多民族の教会であり、感謝と喜びのうちに巡礼最後のごミサに預かることができました。そして聖書の使徒言行録にある聖地を短期間の巡礼体験ができ、沢山のお恵みをいただいた素晴らしいトルコ巡礼でありました。

豊かな多民族国家のトルコ共和国の現状と将来

とても流暢な日本語を話すイスラム教徒のトルコ人名ガイド・ギョクハンさん(岡山の日本女性と結婚し2人の子供の父親)からトルコの国情や歴史、日本との友好関係、
               
イスラム文化と歴史について巡礼中に教えていただき感謝です。トルコは200%の自給率を誇る世界でも数少ない豊かな農業国であり、食料品の消費税は0%であります。農地にはすべて地下水のパイプラインが埋められ、主食の麦は100%自給、砂糖は砂糖ダイコンから作られ、地中海の温暖な気候に恵まれオリーブ、果物も豊かに栽培されています。一方紀元前からの多くの古代イスラム・キリスト教文化の遺跡をベースに70%を観光収入で賄っている国であります。日本との歴史的な友好関係は、1890年(明治23年)のオスマン帝国の軍艦エルトウールル号が和歌山沖で台風のため沈没した時に串本の住民が68名を救助した時から始まり、1985年(昭和54年)のイラク・イラン戦争の時に、日本航空や各国の航空会社が拒否したが、トルコ航空はテヘランから日本人217人を奇蹟的に救出しました。その後1999年(平成14年)起きたマグニチュード7.4のトルコ大震災(3万人死亡)の時に日本が救援活動をし、親密な友好関係が継続しております。特にエルトウールル号の話はトルコの小学校の教科書に掲載されています。
エネルギー源は天然ガスが主力であり100%ロシアから供給されています。国土は日本の2.5倍で広大な面積であり、人口7500万人(イスタンブルは1770万人)年間世界から2000万人の観光客が訪れる観光国であり、有名な手作りの絨毯は品質・価格は名実とも世界NO.1であります。また8つ以上の民族が暮らしている多民族の国はすべてにおいてダイナミックでエネルギッシュな国民性を持っています。
日本が原発3基を売り込み成約し、黒海と地中海沿岸に将来建設されるのはとても 国民にとって大きな悩みのようであります。イスタンブル・アタチュルコ国際空港 (1923年にアタチュルコが初代大統領となり建国の父となったので命名された)
は新規の空港を建設予定であり、完成すると欧州最大のハブ空港となるが、現在ドイツが建設に反対しているようです。現在高速鉄道が首都アンカラとコンヤ間を1.5時間で運航しておりますが、新規にイスタンブルを結ぶ新幹線の入札を日本かフランス間で競走しております。名ガイド・ギョクハンさんは19歳から1年間の徴兵制度を体験して、心身とも鍛えられ自立と感謝の気持ちを体得するチャンスが若者に与えられると自信をもって語ってくれました。

  • 2014年10月10日(木)イスタンブルとトロイ巡礼

9日に関空と成田から夜行便で出発した巡礼団はトルコ空港の美味しい機内食の
おもてなしで元気に5:40AMイスタンブール・アタチュルク国際空港に到着し ました。名ガイドのギョクハンさんが笑顔で出迎えてくれ、早速、東京組の藤田神父様と合流し、全員が自己紹介をしました。三菱の大型バスに乗り、運転歴20年(研修が5年間)の名ドライバーのエルダルさんが紹介され、満月を観ながら近くの聖ステファノ教会(SURP STEPANOS、1826年建設)に到着し、7:00AMにラテン式の朝ミサに預かりました。ミサ後集合写真を撮りました。初日のみ言葉は使徒パウロのガラテアの教会の手紙で始まりました。ミサ後ホテルホリデーインでバイキング・スタイルの主食である美味しいパンと新鮮な野菜たっぷりのヘルシーな朝食で満喫しました。
12世紀に建設されたギリシャ正教の修道院であった現在のカーリエ博物館を見学し、モザイクとフレスコ画で描かれた、キリストの生涯、タルソスの聖パウロ、最後の審判など鮮やかな壁画に感動されました。シルクロード時代に栄えたイスタンブルを後にマルマラ海峡を観ながら一路トロイに向けて走り、聖パウロの宣教した跡をたどりつつ快適なドライブを楽しみました。トルコのバスドライバーは一日のドライブは最大600KM、2時間走ると休憩することが法律で義務づけられています。ガソリンは1リッター300円と高く、車はアメリカ、欧州、トヨタが多いが輸入関税が90%と高いのは1926年のギリシャとトルコの宗教戦争の平和条約で自由貿易が禁止されているのが直接の原因でありますが、2026年には解除されるので将来は大きな発展が期待されます。現在車の価格は100-200万円と非常に高いです。
鉄道はあまり発達していないが2023年には新幹線が38000KMにわたり開通する計画が進められています。現在イスタンブルには200万人のシリア難民を抱え治安が悪いようです。しかしトルコはクルド人との仲は良いようです。
ランチはギリシャレストランのTROIA AGORAにていただいたサバのオリーブオイル焼きはとても美味しかったです。ジュースとビールは各8リラ(約400円)と結構高い値段ですが、消費税は8−18%あります。
ランチ後いよいよ、5000万人が住むアジア側のトルコに向けダンダネル海峡の絶景を楽しみながら大型ヘリーでイスタンブルを後にしました。
そして紀元前13世紀ごろに建設されたイリアス・トロイ遺跡の世界遺産にたどり着きました。1890年にドイツ人のシュリーマンによって発掘された有名なトロイ戦争のあった城壁と複製のトロイの木馬を見学し感動しました。聖パウロがバルナバと第二回の宣教旅行に来たのがトロイの南18kmのトロアスの町でありました。(使徒言行録16.8)この港町からエーゲ海をわたってギリシャ宣教に行ったところです。                                                                                                                                                                 
アイワルクにある4つ星のホテルのGRAND TEMZELに到着し、美味しいイワシの煮物、クスクス肉料理、ワイン、新鮮な果物、スイートを満喫しました。

  • 2014年10月11日(土)ベルガモとエフェソの巡礼 

早朝7時半のエーゲ海からのご来光を右手に見ながら紀元前281年に築かれた
ベルガモン王国の都市国家のアクロポリスの遺跡を見学しました。海抜333メートルの丘に築かれた都市であり、羊皮紙が発明されて蔵書数が増え図書館は世界最大と言われています。          
丘陵斜面を利用した一万人を収容できた大劇場、アスクロピオンと言われる医療・保養施設、温泉などの古代の総合医療センターが建設された。ローマのカラカラ帝がここで治療を受けたと言われています。年2回収穫されるオリーブ、ザクロ、ブドウ、モモ、野菜などの広大な畑を楽しみながらエフェソまで200kmを走破しました。
聖マリアが余生を送った聖マリアの家はエフェソの町の丘(海抜500mメーター)にあり、19世紀に発掘されました。聖マリアの家は二間ですが、福者パウロ6世が1967年、聖パウロ2世が1979年、教皇ベネデクト16世が2006年に訪問されています。聖マリアの側にある聖ヨハネ教会(572年建立)でプライベート・ミサに預かりました。み言葉は聖パウロがエフェソから書いたガラテアの教会への手紙(ガラテア3.22−29)が読まれ、バチカンで開催されているシノドスのテーマである「家族の絆」のためにお祈りしました。巡礼者がいるのは生きたキリスト者の証であり、今の時代を生きる証でもあると説教されました。聖パウロが宣教活動をしたエフェソは紀元前12世紀ごろにできた町であり、古代ローマ帝国の東地中海の交易の中心となりました。聖パウロの宣教時代にはアジア州を代表する大都市であり、人口は20-25万人が住んでおり、5万人収容できる巨大劇場、巨大図書館が建設され、首都して栄え、経済、政治、教会行政の中心でもありました。4世紀以降キリスト教が公認され、たびたび教会会議や公会議の舞台となりました。特に431年に開催されたエフェソ公会議が有名であります。
聖パウロがエフェソにて2-3年滞在して宣教を行ったが、使徒言行録19章の中に見られる悪霊を追い出し、病をいやした話、ユダヤ人魔術師やアルテミス神信仰との衝突した宣教活動を思いめぐらしました。またそこで滞在中に、混乱したコリントの教会へ書いた手紙の中で一コリントの信徒への手紙などは日ごろエフェソでの苦労した宣教活動が書かれております。エフェソを後に行けどもオリーブ、ザクロや野菜畑を眺めながら300q走り、2世紀ごろできたヒエラポリスというローマ帝国の都市の遺跡とパムッカレ(綿の宮殿)という石灰岩と地熱で温まった地下水でできた温泉がある純白の石灰棚田のある町のホテルRichard Thermalにチェックインしました。

  • 2014年10月12日(日)ヒエラポリス・パムッカレーリストラーコンヤ

美味しい野菜たっぷりのバイキング朝食後、2世紀ごろに海抜800mにギリシャのコリント様式で建設された都市ヒエラポリス遺跡(当時の人口16万人)、黙示録に出てくる7つの教会のひとつであるラオデキヤ教会、丘の斜面に建設された1.5万人収容した大劇場が16年ぶりに修復されている遺跡を見学して感動しました。真っ青の空と遺跡をバックに記念の集合写真を撮りました。
                
次にキラキラ光る純白の石灰岩の棚田で足湯を楽しみながら巡礼の疲れをいやしました。ANATOLIAサービスエリアでトルコピッザとアップルチャイを満喫した後一面に広がる広大な麦畑や果物・野菜畑を眺めながらコンヤに向けて約200キロのドライブを楽しみました。夕刻に聖パウロの宣教地コンヤ(イコニオン)の聖パウロ教会でトルコ人のクリスチャンがいない異邦人(イラク、アフリカ、シリア、日本)のミサに参加しましたが、み言葉は今日のミサにふさわしいマタイによる福音、使徒パウロのフィリポの教会への手紙、イザヤの預言が朗読されました。主はコンヤの聖パウロ教会で祝宴を開き、すべての顔から涙をぬぐってくださったように、ミサに預かった異邦人は皆その救いを祝って笑ってお互い喜びおどりました。聖堂でお互い主の平和の握手をしたり写真を撮ったりして別れ、きれいな清潔なホテルヒルトンガーデンにチェックインしました。これまたバイキング・スタイルの美味しい夕食を満喫しました。

   .2014年10月13日(月)コンヤーリストラーカッパドキヤ
コンヤは人口100万人が住む熱心なイスラム教の町であり90%の人が断食をします。聖パウロが第一回宣教旅行の際、バルナバを伴って訪れ、使徒言行録14.21や16.1にあるようにその後何度かコンヤを訪問しています。かなりの人がキリスト教に改宗した初期キリスト教の舞台となったが、また使徒言行録13.51、や14.1−7にあるようにユダヤ人の迫害のにあったところです。
美味しいバイキング・スタイルの朝食を満喫して、使徒言行録14.8−20にある、聖パウロとバルナバが足の不自由な人を癒したり、石打ちの迫害を受けたリストラの町にある広大な平原のなかの小高い丘を訪れました。使徒言行録16・1にあるようにリストラでは聖パウロは後に重要な任務を託された弟子のテモテの家でお世話になっていたと思われます。
  トルコの砂糖は砂糖ダイコンから造られるが、カッパドキヤへのドライブの途中、 砂糖ダイコンを積んだトラックが行列し大きな砂糖工場に横づけしている光景が見られました。
  首都アンカラとコンヤ間は2011年に開通した高速鉄道で1.5時間(従来は10時間かかった)で観光と商業の中心地であります。
  世界遺産のカッパドキヤは9000万年前に火山が噴火し自然風化でできた都市で4世紀ごろにアラブ人の迫害から逃れるためにキリスト教徒が8階建ての地下都市を造り当時5000人ぐらいの教徒が暮らしていました。当時、キリスト教会は400−500か所あったが現在は30か所が博物館として保存されています。夕刻のプライベイト・ミサが聖マリア洞窟教会で執り行われました。説教の中でカッパドキヤにギリシャ正教の3聖人のグレゴリオ兄弟が住んでいた話があり、                 
沢山の聖人の中でこの3聖人が人格的にもすべてがそろっていると言われました。
  み言葉は使徒パウロのガラテヤの教会への手紙が朗読され、主の食卓で養われ、喜びに満たされたわたしたちがキリストのいのちに日々成長することができますようにお祈りいたしました。ミサ後ホテルヒルトンホテルにチェックインしました。バイキング・スタイルのとても美味しいトルコ料理とワインを満喫しました。
                  
                          

  .2014年10月14日 カッパドキヤーカイセリ空路―イスタンブル
ホテルにて早朝7時のごミサがあり、使徒パウロのガラテアの教会への手紙 とルカの福音11・42−46が朗読され、愛の実践が伴う信仰が大切であり、神の恵みを生かして心を清くしましょうとのご説教がありました。
カッパドキヤ(美しい馬の地)の多忙な一日がギョレメの野外博物館やカイマルク地下教会への巡礼で始まり、サンダル教会、トカリ(美しい足)教会の壁に描かれた美しいフレスコ画のイエス・キリストの宣教活動や奇蹟もの語りなどすべてのフレスコ画に魅了されました。キノコ岩(パジャバ)は古代の修道士、聖シメオンが修道生活を送った隠れ家であり、キリスト教徒の隠れ修道場のラクダ岩、9世紀ごろのキリスト教会のあるローズバレー、ゼベルの奇岩の谷など古代ロマンの大パノラマを堪能しました。カッパドキヤの最後のランチはマスと豆の煮物に最高の赤ワイン カレージ・カラスを賞味し、そのワインをお土産に購入しました。
有名なトルコ絨毯の製造実演・展示・販売会社アイオスを訪問後、名ガイドのギョクハンの両親宅のアパートでチャイをご馳走していただき友好を深めました。さすが立派な絨毯やトルコでシェアー80%を誇るソニーの大型TVには驚きました。イスタンブルの大地震でトルコ人は地震の無いカッパドキヤにどっと移住してきたために地価が10倍に高騰しております。
古代キリスト教徒とイスラムの共存した美しいカッパドキヤまでイスタンブルから 2400kmの長距離(北海道から鹿児島間)を安全運転してくれた名ドライバーエルダルさんに感謝して別れた後、イスタンブルに向けカイセリ空港を後に機内食の美味しいトルコ航空の機上の巡礼団となりました。1時間後にイスタンブルに無事到着し、世界的な料理のトルコ風中華料理を美味しくいただき、最後のホテル・ユーロ・プラザにチェックインしました。

           

  .2014年10月15日(水)イスタンブルー関空へ帰国(0:55発トルコ航空TK046) 成田へ帰国(1:00発TK052)
  ホテルにて最後の朝食を終え、9:30AMからイスタンブルの大司教座である セント・エスプリ・カテドラル(聖霊教会)にて祭壇の正面に「聖霊降臨」の絵画が掲げられた聖堂で巡礼最後のプライベイト・ミサに預かり、トルコ巡礼が聖霊に導かれて大きな喜びのうちに終わることができたことに感謝しました。この日はアビラの聖テレジアの記念日であり、使徒パウロのガラテヤの教会の手紙5.18-25が朗読され、「霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和そして節制であり、霊の導きにしたがって生きているなら、霊の導きによって前進しましょう。」は最後のミサにふさわしいみ言葉に感動しました。藤田神父様のご説教では多民族を受け入れてきたトルコの多様な共存文化に学びつつ、将来、単一民族である日本は多民族を受け入れる普遍的な国家に変身していく事が大きな課題ではなかろうかと印象的なお話をされました。このカテドラルを歴代の教皇が訪問されており、11月末には教皇フランシスコが訪問されます。
その後324年ローマ帝国の首都イスタンブルにギリシャ正教の総主教座として創建 された「アヤソフィア」を訪れ、豪華な、美しい11世紀頃のモザイク画の数々、祝福するイエス、聖母子、大天使ガブリエル、キリストと女帝エゾ夫妻、聖母子と皇帝家族などに魅了されました。1478年オスマン帝国を築いたメフメット2世が建造したトプカプ宮の宝物館に展示されたスルタン王の豪華絢爛な金、ルビー、エメラルド、ダイヤモンドの装飾品、特に世界には類のない「86カラットのダイヤモンド」は圧巻でした。次に訪れたイスラム教のシンボルのブルーモスクはアフメット1世が1616年に完成したモスクは24300枚の青いイズニック・タイルと美しいイタリアのベネチヤ製ステンドグラスで飾られており、7000人を収容できるお祈りの場所は男女別々に区別されています。全トルコに8500のモスクがあり、イスタンブルに 2000のモスクがあります。
イスタンブルは人口1770万人の大都市であり、年間2000万人が訪れ、車も多くて渋滞がひどく、スモッグできれいな街も霞んでいました。新市街にある聖アントニオ教会を一区間の市電ケーブルカーで訪問しました。その後ボスボラス海峡のクルーズ専用船で1時間にわたり百万ドルリラの夜景、朝から訪問した、アヤソフィヤ、トプカプ宮殿、ブルーモスク、ガラダ橋のイルミネーションのクルージングを満喫しました。波止場の近くのトルコレストランで最後の晩餐をグリルのサバをいただき、イスタンブル国際空港に到着し、名ガイドのギョクハンさんと東京の藤田神父様と3名の巡礼者と別れ、関空に向け10時間飛行の長旅の途につきました。16日の夕刻6時関空に無事到着後、フレデリック神父様のお祈りで感謝と喜びのうちにお互い笑顔で解散しました。アレルヤ!!!


 ヨーロッパ・カトリック聖地巡礼センター