イスラエル通信 イスラエル在住のキョウコさんからのホットな情報です。 |
|
|
|
2013年3月 以前にも書きましたが、今年は雨が多く、7年間の水不足をいっきに解決しました。 雨の多さに伴って、国中で花が咲き乱れています。 イスラエルは野生の花の種類が多く、6千とも7千とも言われています。原種のシクラメンやチューリップも見られます。 これは昔からヨーロッパ・ロシア方面からアフリカへの渡り鳥の通過地点だったために、鳥たちによっていろいろな地域から、沢山の種が運ばれたからです。 ガリラヤ湖周辺では湖の周り全体が緑に覆われ、その中で黄色や紫、ピンクの絨毯を敷き詰めたように花の群生が咲いています。 春を告げる花がアーモンドの花ですが、アーモンドはヘブライ語でシャケッドと言い、「目覚めの木」という意味です。まさにアーモンドの花は春の訪れを告げ、大地が目覚めてその後は一斉に色々な花が咲き出します。 車を走らせながら見ていると、同じ色の花に見えますが、近くへいくと、同じ色でも微妙に違い、いろいろな種類が咲いています。 今年は砂漠のほうでも鮮やかな緑の草や花を見かけました。砂漠に生息する植物はほんの少しの水分で花を咲かせたりします。ですからちょっと水分が多いと、あっという間に背高く伸びて大きく成長します。ユダの荒野には未だに放牧している遊牧民族がいますが、今年の羊たちはなんとなく嬉しそうに草を食んでいます。 花の時期でもあり、四旬節に入り、ユダヤ教の過ぎ越しのお祭も近づき、各地の観光地は地元はもとより、世界各国からの人たちで賑わっています。
|
|
|
|
2013年2月 1月始めの一週間、全国的に大雨となり、エルサレムでは雪が積もりました。 あの時は一部で洪水になり、道が通行止めになったほどです。 それから2週間、好天続きだったため、大地が一斉に色づきました。 北のガリラヤ湖畔には“ヒッティンの丘”とも呼ばれているアルベル山があります。この山はヘブライ語でカルネイ・ヒッティン(ヒッティンの角)と呼ばれています。この山は、紀元前3世紀のユダヤ人賢者ニッタイの家があった場所で、谷を隔てて隣の山をニッタイ山と呼んでいます。アルベル山は海抜180mの低い山ですが、ガリラヤ湖が海抜マイナス210mのため、標高は390mとなります。 1187年7月、この場所で十字軍とイスラム教のサラディン率いる軍勢がぶつかったのです。この戦いで十字軍は破れ、以後その勢力は衰退の一途をたどり、ついにイスラエルから全て撤退を余儀なくされました。 また、ここはナザレからマグダラを抜けカペナウムに行く道のそばで、一部のキリスト教一派はここを山上の垂訓を行った場所だとしています。 アルベル山の上に立つと、ガリラヤ湖が一望でき、とても眺めの素晴らしいところです。
|
|
|
|
2013年1月 写真は自宅周辺を撮ったものです。きょうは仕事も学校もお休みです。
|
|
|
|
2012年12月 旧市街の聖墳墓教会近くにある、ドイツ系プロテスタントのルーテル教会で、クリスマス・バザーがあったので行ってみました。 午後1時オープンきっかりに行った所、大勢の人だかりでした。イスラエルの一般紙にも広告が載るので、教会信者の方たちだけでなく、ユダヤ人やアラブ人も沢山来てました。 手作りのものに混じって、古本や古着、蚤の市的なこちゃこちゃしたものが並べられ、またフードコーナーも設けてあり、暖かいスープなども置いてました。 12月に入りますと、こうした各教会での催し物がいろいろあります。人気のあるものに、こうしたバザーの他に無料や低料金で行われるコンサートも人気です。音楽好きのユダヤ人が宗教を超えて、こうしたコンサートのため、教会に行くのもこの季節です。 旧市街のキリスト教徒地区にあるお店屋さんは、クリスマスの飾りつけがしてあり、12月なんだなぁと感じました。 土曜の安息日で、お天気も良かったので、世俗派のユダヤ人の家族連れなど多くの人たちが、アラブ人地区などもぶらぶらしている姿を見かけました。
|
|
|
|
2012年9月 | |
長らくご無沙汰しておりました。 エジプトやシリアの情勢が悪かったり、イスラエルがイランを攻撃するのではないかというきな臭い、こんな状況の中で 大変なのではないかと心配する方もいらっしゃるかもしれません。 でもこちらは、日々日常の時間が流れ、そんな中でむしろ、日本の政治の行方や近隣の国との関係を憂慮してます。 夏は雨が一切降らないので、今年も結婚式やパーティー、コンサートや各種催し物など、野外をつかっての行事が目白押しです。 イスラエルでは、ユダヤ人の場合、安息日に車を運転しない人もいるため、結婚式は平日の夜に始まります。 式では必ずフッパー(天蓋)の下で行われます。今回の結婚式は非常に略式的なものでしたが、後から来た花嫁が花婿に迎えられ、このとき頭にあるベールを下ろしてもらいます。これはイサクの結婚に由来するといわれています(創世記24:65)。 |
|
|
|
2012年3月 | |
今年は雨が多く、例年に比べて冷え込んだ冬だということは、前にもお話しました。
2月中旬には、エルサレムに雪が降るとニュースなどで騒いでいましたが、結局降らずに済みました。 3月に入り、春真っ盛りになるはずが、とうとうエルサレムに雪が降りました。 2月下旬から四旬節に入り、また一年のうちで一番美しい季節に入るので、世界各国から巡礼の人たちが多く集まっています。
|
|
|
|
2012年1月 | |
新年が明けました。今年は雨が多く、例年に比べて冷え込んだ冬です。 ただ、雨に関しては、まだガリラヤ湖が一杯にならないので、もっと降ってもらわなければ困ります。 イスラエルの人たちにとって、雨は神からの祝福で、「生憎のお天気で…」とはいわず、「雨でよかったですね」と喜びます。 さて、今年は日本とイスラエルが国交を結んで60周年ということで、公私にわたって色々な催し物が開催される予定です。 先日はエルサレムにある、日本食レストランで、お餅つき大会がありました。 お餅つきの日は小雨が降ってたので、最初はお店の中でやりましたが、晴れてきてからは外でやりました。 面白かったのは、昔人気を得た日本映画「たんぽぽ」で、老人がお蕎麦屋さんで餅を喉に詰まらせた場面がありましたが、あの意味がわかったと納得していたイスラエル人が何人かいました。
|
|
|
|
2011年12月 | |
エルサレムは前日まで晴天が続いていましたが、イヴから激しい雨が降りました。 イエス・キリストの生誕地、ベツレヘムは世界中から大勢の人たちが、夜中に行われる聖誕祭の御ミサのために集まりましたが、教会には全員が入れません。教会前の広場に大スクリーンが設置され、御ミサの様子が映し出されますが、 寒さに加え、強い雨が降ったので、外の人たちは大変だったと思います。 イスラエルは約80%がユダヤ人のため、商業的にもクリスマスのお祝いはしません。ですのでユダヤ人の街は、教会やクリスチャン関係の施設以外ではツリーやクリスマスの飾りつけを見ることはありません。 今年はユダヤ教のお祭り、ハヌカがクリスマスと重なっており、ユダヤ人の学校は21日から28日までお休みです。 さて、今年は日本にとって大変な年でした。 シオンの丘にあるマリア永眠教会のツリー 東エルサレムのアメリカン・コロニーホテルのツリー ハヌキヤ(ハヌカで使う燭台)のイルミネーション 旧市街、ヤッフォ門横にある最新のマミラショッピングモール ハヌカで食べるスフガニヤ(揚げドーナッツ)の色々なバージョン マミラモールでの演奏会 手前がハヌキア |
|
|
|
2011年11月 | |
先日エルサレムの路面電車に乗ってきました。 2002年に工事が始まり、2006年を開通予定にしていたのが、大幅に遅れ、市民はエルサレムに路面電車は走らないのではないかと、あきらめかけていました。 2010年には試運転が始まったものの、全線の工事がまだ終わってない中、市民もしらけた感じで見ていましたが、やっと今年の8月に開通しました。 当初は夏休みでもあり、8月いっぱい無料で乗車できたため、物見見物の人たちで満杯でした。 9月になってから有料になりましたが、セキュリティの問題等が浮上し、再び無料が11月いっぱいまで続きました。 車両はヨーロッパから輸入したもので、青を基調として窓も大きく、乗り心地は大変良かったです。 車内放送はヘブライ語、アラビア語、英語の3ヶ国語が流されます。乗車チケットは市内循環バスと併用でき、90分以内なら乗り換え自由です。 今年は11月に入って急激に寒くなったので、街の中の紅葉が目につきました。 |
|
|
|
2011年10月 | |
ユダヤ教のカレンダーでは、秋口にお祭りが続きます。 ティシュリーの月1日・2日が新年、9日がヨム・キプール(大贖罪日)、スコット(仮庵祭)が15日から22日までで、スコットの最終日はシムハット・トラー(律法の祭り)となります。 仮庵のお祭りは、一般に太陽暦10月頃に行われるもので、ユダヤ教三大祭りの一つです。 昔の先祖が荒野で過ごした40年間を記憶するために、仮庵の中で食事をしたり、人によってはそこで寝て、追体験をします。
|
|
|
|
2011年9月 | |
7月、8月と暑かったイスラエルも、空気に秋を感じるようになりました。 今年は9月28日がユダヤ暦での新年にあたります。5772年の幕開けです。 ヘブライ語で新年をローシュ・ハシャナーといい、「一年の頭」という意味です。 そのために、新年の食卓には魚の頭が出されます。また新年が甘い良い年になるようにと、りんごを蜂蜜と一緒に食べたり、石榴を食べます。 さて、先日最近一般公開された「ダビデの町」から見つかったヘロデ大王時代(紀元前37〜93年頃)の排水溝を見に行ってきました。 遺跡はただの朽ち果てた石ですが、その頃に思いを馳せながら見ていると、その当時の人々の息遣いまで感じられるのではないでしょうか。
|
|
|
|
2011年6月 | |
過ぎ越しのお祭りの2日目から数えて7週目に行われるシャブオットは、ユダヤ教三大祭りの一つです。
「小麦の刈り入れの初穂のために七週を、年の変わり目に収穫祭を、行わなければならない」(出エジプト34章22節) ユダヤ教では、モーセがシナイ山で十戒を授かった日として祝うようになり、ユダヤ教徒は熱心に聖書を読みます。シナゴーグ(ユダヤ教会堂)ではルツ記が朗読されます。 キリスト教では「50日目」を意味するギリシャ語から「ペンテコステ」と呼ばれています。およそ2千年前のシャブオットの最中、弟子たちに聖霊がくだり主を証しました。 この日には、乳製品を食べる風習があります。 材料:小麦粉11カップ、牛乳1.5カップ、卵2個、サラダ油小さじ3杯、塩小さじ1/4杯
シャブオットで食べるブリンチェス |
|
|
|
2011年5月 | |
過ぎ越しのお祭りから次のシャブオット(五旬節またはペンテコステ)の間に、いくつかの記念日があります。 イスラエルでは伝統的なお祭り行事だけでなく、現代に作られた記念日もユダヤ暦に沿って行われています。 ということで、イスラエルの独立記念日は西暦では5月14日ですが、ユダヤ暦に合わせるため、毎年ずれて行われます。 独立記念日の前に2つほど別の記念日があります。 イスラエルにいる外国人にとってちょっと戸惑うのが、戦没者記念日の次の日に独立記念日があり、悲しみや追悼一色なのが、日没(実際には夜に行われる独立記念式典の終了間際の花火)からガラリと変わって、独立の歓喜になることです。 イスラエルは建国後も何度かの戦争を体験しています。また、テロで亡くなった人たちもこの日に追悼するので、毎年戦没者記念日になると、亡くなった人の数が増えます。 独立記念日は休日ですが、宗教的なお祭りではないので、この日はユダヤ教徒の人たちも車でハイキングに行ったりします。
|
|
|
|
2011年4月 | |
ユダヤ教・三大祭の一つである過越しの祭りは、ユダヤ暦のニサンの月14日に始まります。今年の西暦では4月18日です。 現地で「ペサハ と呼ばれるこのお祭りは、約4000年前モーセによって、奴隷だったユダヤ人が解放され、出エジプトを祝うものです。 ファラオは、モーセがユダヤの民を連れて、神に約束された地へ行くことを良しとしなかったのですが、それに対して神は十の災いを臨ませました。その十番目の災いが、エジプト全土の人間から家畜に至るまで全ての初子を撃つというものでした。戸口に印のない家にその災いを臨ませました。 このお祭りの名称は、戸口に印のあった家は神が「過ぎ越し ていったことに由来します。 また、この過ぎ越しのお祭りは除酵祭でもあります。 さて、過ぎ越しのお祭りの始めの夜は、「セデル」と呼ばれる特別の食事を行います。セデルとは「順序」という意味で、その中心は出エジプトの物語を語りながら、決まった式次第にそって祈ったり、歌ったりします。 また、このときに、テーブルには大皿が置かれ、セデルで用いられる象徴的な食べ物が並べられます。 以上の他にワインと種なしパンであるマツォットも必ずテーブルに並びます。 こうやってユダヤ人はセデルを通して、モーセの時代にあった神の力強い業を記念しているのです。
|
|
|
|
2011年3月 | |
最初に、今回の大地震・津波による多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 被災地の皆様、また様々な影響を受けた皆様には1日も早く元の生活に戻れますようお祈り申し上げます。 もっと早く更新する予定でしたが、あの災害以来、何をどう書いていいのかずっと迷ってました。その間、イスラエルの親類、友人・知人、仕事関係の人々、よく利用しているパン屋やガソリンスタンドの人々からお見舞いや励ましの言葉を沢山頂きました。 きのうは子供の親子面談で学校へ行ったとき、久しぶりに子供の友人のお母さんに会いました。挨拶の後、やはり災害の話になったのですが、「私の兄弟は今 イスラエルでも有志による募金や、チャリティーコンサートなどが始められています。
|
|
|
|
2011年2月 | |
先週の土曜。友人に招かれて、昼食に行きました。 イスラエルでは冬の安息日によくでるハミンという鍋料理です。 ユダヤ教の戒律で安息日は火を使ってはいけないことになっています。 紀元前から食されていたもので、もしかしたらイエス・キリストも子供の頃食べていたのかもしれませんね。 今年は12月から1月にかけて暖かく、2月になってから寒さが続いています。
|
|
|
|
2011年1月 | |
新年のお慶びを申し上げます。
年末年始にツアーがあり、その中でマサダからのご来光を眺める、というのがありました。 マサダは自然な要塞の形をしており、それをさらにヘロデ大王が、強固な城壁を廻らして見張りの塔などを作り、強化しました。その後西暦66年から勃発したユダヤ・ローマ戦争の時、エルサレムが崩壊された後、生き残ったユダヤ人たちがマサダに逃げて立て篭もり、最終的に集団自決したところです。 キリストの生誕地、ベツレヘムにも行ってきました。 イスラエルは1月が1年の中でも最も寒い月ですが、2月に入るとそろそろ春の声を聞きます。
|
|
|
|
2010年12月 | |
今年もわずかとなりましたが、皆様にはお変わりのない事と存じます。 写真は今年2月にシナイ山頂上から撮ったものです。 また、皆様とイスラエルもしくは日本、あるいはどこかの国で再会できることを楽しみにしております。 新しい年が皆様にとって健やかで平安でありますように。 エルサレムより |
|
|
|
2010年12月 | |
このほどイスラエルの様子を、時々ではありますが、皆様にお伝えすることになりました。 どうぞよろしくお願いします。
さて、12月というとクリスマスですが、ここイスラエルではハヌカのお祭が行われます。 ハヌカは「宮清めの祭り」といって、紀元前2世紀にギリシアの異教神に汚された神殿を清めた故事を記念するお祭です。 また、ハヌカの期間は油を使った料理が必ず作られますが、特にスフガニヤというジャム入り揚げドーナッツはあちこちの店先で見かけられますし、友人宅などを訪問すると必ずお茶菓子に出されます。 一般にハヌキヤは家の中に飾りますが、東ヨーロッパ系のユダヤ人は家の外に飾る習慣があります。 少し早いですが、皆様には新しい年がこの灯火のような明るいものであることを聖地よりお祈りいたします。 |
|
我が家のハヌキヤ。ハヌカ第2日目 |
|
スフガニヤ |
|
去年、東ヨーロッパ系ユダヤ教徒の住居区で撮ったハヌキヤ |
|
|