イスラエル通信
イスラエル在住のキョウコさんからのホットな情報です。

2013年3月
以前にも書きましたが、今年は雨が多く、7年間の水不足をいっきに解決しました。
雨の多さに伴って、国中で花が咲き乱れています。
イスラエルは野生の花の種類が多く、6千とも7千とも言われています。原種のシクラメンやチューリップも見られます。
これは昔からヨーロッパ・ロシア方面からアフリカへの渡り鳥の通過地点だったために、鳥たちによっていろいろな地域から、沢山の種が運ばれたからです。
ガリラヤ湖周辺では湖の周り全体が緑に覆われ、その中で黄色や紫、ピンクの絨毯を敷き詰めたように花の群生が咲いています。
春を告げる花がアーモンドの花ですが、アーモンドはヘブライ語でシャケッドと言い、「目覚めの木」という意味です。まさにアーモンドの花は春の訪れを告げ、大地が目覚めてその後は一斉に色々な花が咲き出します。
車を走らせながら見ていると、同じ色の花に見えますが、近くへいくと、同じ色でも微妙に違い、いろいろな種類が咲いています。
今年は砂漠のほうでも鮮やかな緑の草や花を見かけました。砂漠に生息する植物はほんの少しの水分で花を咲かせたりします。ですからちょっと水分が多いと、あっという間に背高く伸びて大きく成長します。ユダの荒野には未だに放牧している遊牧民族がいますが、今年の羊たちはなんとなく嬉しそうに草を食んでいます。
花の時期でもあり、四旬節に入り、ユダヤ教の過ぎ越しのお祭も近づき、各地の観光地は地元はもとより、世界各国からの人たちで賑わっています。


エイン・カレム近くのアーモンドの木。春の目覚めです


ガリラヤ湖へ行く途中の草原、色とりどりの野生の花が咲き乱れてます


アネモネに似てますが、キンポウゲ科のラナンキュラス


キバナスズシロ、サラダなどに使われる香草ルッコラ


オバマ大統領の訪問に備えて沿道にはアメリカとイスラエルの国旗が掲げられてます


2013年2月
1月始めの一週間、全国的に大雨となり、エルサレムでは雪が積もりました。
あの時は一部で洪水になり、道が通行止めになったほどです。
それから2週間、好天続きだったため、大地が一斉に色づきました。

北のガリラヤ湖畔には“ヒッティンの丘”とも呼ばれているアルベル山があります。この山はヘブライ語でカルネイ・ヒッティン(ヒッティンの角)と呼ばれています。この山は、紀元前3世紀のユダヤ人賢者ニッタイの家があった場所で、谷を隔てて隣の山をニッタイ山と呼んでいます。アルベル山は海抜180mの低い山ですが、ガリラヤ湖が海抜マイナス210mのため、標高は390mとなります。

1187年7月、この場所で十字軍とイスラム教のサラディン率いる軍勢がぶつかったのです。この戦いで十字軍は破れ、以後その勢力は衰退の一途をたどり、ついにイスラエルから全て撤退を余儀なくされました。

また、ここはナザレからマグダラを抜けカペナウムに行く道のそばで、一部のキリスト教一派はここを山上の垂訓を行った場所だとしています。
イスラエルではJesus Trail(ジーザス・トレイル=イエスの辿った道)というハイキング・コースがあります。ナザレからカナを通り、このヒッテンの丘からマグダラを出てカペナウムへ行く約65kmのコースです。イエス・キリストの時代に思いを馳せながら、その当時と同じように徒歩で、現代の人たちは4日間かけてこのコースを行きます。

アルベル山の上に立つと、ガリラヤ湖が一望でき、とても眺めの素晴らしいところです。
今回この辺りも結構緑の草が生え始め、花もポツリポツリと咲いていました。この日は北のヘルモン山も姿を見せ最高でした。


1月10日に降ったエルサレムの雪景色
 
アルベル山頂からガリラヤ湖を望む、遠くに雪を被ったヘルモン山 

眼下に見えるマグダラの町 

ナザレの方角、あそこからキリストはここまで歩いてきました
 
アルベル山の全容、右端の崖に立ちました 


2013年1月
皆さん、おはようございます(といっても、日本はもうお昼ですが)。
今週ずっと続いていた大嵐は、エルサレムではきのうから降雪にかわり、
今朝は一面真っ白の銀世界です。

写真は自宅周辺を撮ったものです。きょうは仕事も学校もお休みです。



2012年12月
旧市街の聖墳墓教会近くにある、ドイツ系プロテスタントのルーテル教会で、クリスマス・バザーがあったので行ってみました。
午後1時オープンきっかりに行った所、大勢の人だかりでした。イスラエルの一般紙にも広告が載るので、教会信者の方たちだけでなく、ユダヤ人やアラブ人も沢山来てました。
手作りのものに混じって、古本や古着、蚤の市的なこちゃこちゃしたものが並べられ、またフードコーナーも設けてあり、暖かいスープなども置いてました。

12月に入りますと、こうした各教会での催し物がいろいろあります。人気のあるものに、こうしたバザーの他に無料や低料金で行われるコンサートも人気です。音楽好きのユダヤ人が宗教を超えて、こうしたコンサートのため、教会に行くのもこの季節です。

旧市街のキリスト教徒地区にあるお店屋さんは、クリスマスの飾りつけがしてあり、12月なんだなぁと感じました。
以前にも書いたように、イスラエルではベツレヘムやナザレなど、キリスト教徒の大勢住んでいる街以外は、街中でクリスマスの飾りつけを見かけません。
どちらかというと同じ時期にある、ハヌカのお祭のための飾り付けが施されます。

土曜の安息日で、お天気も良かったので、世俗派のユダヤ人の家族連れなど多くの人たちが、アラブ人地区などもぶらぶらしている姿を見かけました。
アラブ人地区の市場は、観光客に混じって、地元の買い物客で混雑しており、例年感じる事が難しい、師走の雰囲気をクリスマス・バザーや、市場での混雑で味わった1日でした。 


 教会に隣接されたバザー会場は既に大勢の人が並んでました


 こちらは古着コーナー


 フードコーナーの美味しそうなサンドイッチ


 バザーの帰りによった聖墳墓教会の内部で


 アラブ人地区の市場で


2012年9月
長らくご無沙汰しておりました。 エジプトやシリアの情勢が悪かったり、イスラエルがイランを攻撃するのではないかというきな臭い、こんな状況の中で
大変なのではないかと心配する方もいらっしゃるかもしれません。
でもこちらは、日々日常の時間が流れ、そんな中でむしろ、日本の政治の行方や近隣の国との関係を憂慮してます。

夏は雨が一切降らないので、今年も結婚式やパーティー、コンサートや各種催し物など、野外をつかっての行事が目白押しです。
今回は。先日出席したイスラエルの世俗派の結婚式をご紹介します。
あえて「世俗派」といったのは、正統派とは異なることが多いからです。

イスラエルでは、ユダヤ人の場合、安息日に車を運転しない人もいるため、結婚式は平日の夜に始まります。
招待状に書いてある会場への入館始まりから1時間ほどたつと、やっと人々が集まり始めるのが普通です。ですので式も遅れるし、10時近くなってやっと着席して、食事となります。

式では必ずフッパー(天蓋)の下で行われます。今回の結婚式は非常に略式的なものでしたが、後から来た花嫁が花婿に迎えられ、このとき頭にあるベールを下ろしてもらいます。これはイサクの結婚に由来するといわれています(創世記24:65)。
ラビ(ユダヤ教指導者)による祈り、ワインの祝杯のあと花婿が花嫁の右手人差し指に金の指輪をはめます。最後に新郎がグラスを割ります。これはユダヤ教の神殿崩壊を象徴し、幸せの絶頂のときでもこれを忘れずに、そしてイスラエルの回復を祈るためです。
これをもって式が終わり、音楽が一斉に鳴り出し、人々は晩餐のテーブルに流れていきます。そして飲み食いしながら、老いも若きも夜中まで踊り明かすのです。
 
正面奥にあるモダンなフッパー

式の始まりに花婿が花嫁のベールを下ろします

ケトゥバ(結婚契約書)を披露しているところ

神殿崩壊を象徴するグラスを割る儀式

ディスコハウスと化した結婚式場


2012年3月
今年は雨が多く、例年に比べて冷え込んだ冬だということは、前にもお話しました。

2月中旬には、エルサレムに雪が降るとニュースなどで騒いでいましたが、結局降らずに済みました。
エルサレムは坂が多いのでちょっとした雪で交通がストップになります。
一冬に1回降るか降らないかなので、一般家庭ではスノータイヤやチェーンを持っていません。
ですから、ほんの少し雪が積もると、会社も学校もお休みです。

3月に入り、春真っ盛りになるはずが、とうとうエルサレムに雪が降りました。
ちょうど金曜だったので、週休二日制の会社はもともとお休み。子ども達も週末だから休もうということで、大きな混乱もなく、大人も子どもも雪を楽しんでいました。
お昼近くまで降って、薄っすらと積もったのですが、その後晴れてあっという間に溶けてしまいました。

2月下旬から四旬節に入り、また一年のうちで一番美しい季節に入るので、世界各国から巡礼の人たちが多く集まっています。
雪の朝、エルサレムの巡礼者、観光客の皆さんはホテルで足止めをされましたが、めずらしい聖地の雪を楽しんでいた人も多かったことでしょう。


家の窓から撮った雪の降るエルサレム

しんしんと降っています

薄っすらと雪の積もった公園

四旬節に入って、どこの教会も十字架に紫の衣をかけています
  エリコ、良き羊飼いの教会にて

エルサレム、鶏鳴教会にて


2012年1月
新年が明けました。今年は雨が多く、例年に比べて冷え込んだ冬です。
ただ、雨に関しては、まだガリラヤ湖が一杯にならないので、もっと降ってもらわなければ困ります。
イスラエルの人たちにとって、雨は神からの祝福で、「生憎のお天気で…」とはいわず、「雨でよかったですね」と喜びます。

さて、今年は日本とイスラエルが国交を結んで60周年ということで、公私にわたって色々な催し物が開催される予定です。

先日はエルサレムにある、日本食レストランで、お餅つき大会がありました。
20年前までは、イスラエル人にとって日本食はまだ未知のもので、お寿司など気持ち悪いという人も多かったのですが、この20年の間にイスラエルの食文化もすっかり変わり、今や人口比で、日本についで寿司屋が多いのがテルアビブとも言われています。
テレビの料理番組でもイスラエル人シェフが醤油やわさびなど、日本食材を使った無国籍料理を紹介しています。

お餅つきの日は小雨が降ってたので、最初はお店の中でやりましたが、晴れてきてからは外でやりました。
子どももさることながら、大人たちがはしゃいで喜んでいました。
写真を撮るのを忘れたのですが、出来立てのお餅は皆で丸めて、お醤油や黄な粉をつけて食べました。
お餅を初めて食べた人たちも、美味しいと次々につまんでいました。

面白かったのは、昔人気を得た日本映画「たんぽぽ」で、老人がお蕎麦屋さんで餅を喉に詰まらせた場面がありましたが、あの意味がわかったと納得していたイスラエル人が何人かいました。


レストラン内でのお餅つき

熱心な人は説明をメモしてます

イスラエル人も餅つきに挑戦

臼の角をぶつけたりして、お餅の中に木屑が入ったのもご愛嬌

日本人の方も挑戦


2011年12月
エルサレムは前日まで晴天が続いていましたが、イヴから激しい雨が降りました。
イエス・キリストの生誕地、ベツレヘムは世界中から大勢の人たちが、夜中に行われる聖誕祭の御ミサのために集まりましたが、教会には全員が入れません。教会前の広場に大スクリーンが設置され、御ミサの様子が映し出されますが、
寒さに加え、強い雨が降ったので、外の人たちは大変だったと思います。

イスラエルは約80%がユダヤ人のため、商業的にもクリスマスのお祝いはしません。ですのでユダヤ人の街は、教会やクリスチャン関係の施設以外ではツリーやクリスマスの飾りつけを見ることはありません。
そんな中、エルサレム市はクリスチャンのために、毎年樅の木を無料配布しています。ただし、数に限りがあるため早い者勝ちです。

今年はユダヤ教のお祭り、ハヌカがクリスマスと重なっており、ユダヤ人の学校は21日から28日までお休みです。
聖誕祭の日も朝から激しい大雨でしたが、ショッピングセンターや旧市街などエルサレムの街を回ってみました。
ハヌカの飾りがあったので例年のクリスマスに比べ、多少の華やぎがありました。

さて、今年は日本にとって大変な年でした。
被災地の方々には復興に時間がかかり、まだまだ厳しい状況だと思います。
イスラエルの人たちは、今でも心にとめて早く正常な生活を取り戻せるよう祈ってます。
お一人お一人の心に明るい光が灯されることを願うと同時に、皆様には良いお年をお迎えできますことを聖地よりお祈りします。


シオンの丘にあるマリア永眠教会のツリー

東エルサレムのアメリカン・コロニーホテルのツリー

ハヌキヤ(ハヌカで使う燭台)のイルミネーション

旧市街、ヤッフォ門横にある最新のマミラショッピングモール

ハヌカで食べるスフガニヤ(揚げドーナッツ)の色々なバージョン

マミラモールでの演奏会 手前がハヌキア

2011年11月
先日エルサレムの路面電車に乗ってきました。
2002年に工事が始まり、2006年を開通予定にしていたのが、大幅に遅れ、市民はエルサレムに路面電車は走らないのではないかと、あきらめかけていました。
2010年には試運転が始まったものの、全線の工事がまだ終わってない中、市民もしらけた感じで見ていましたが、やっと今年の8月に開通しました。
当初は夏休みでもあり、8月いっぱい無料で乗車できたため、物見見物の人たちで満杯でした。
9月になってから有料になりましたが、セキュリティの問題等が浮上し、再び無料が11月いっぱいまで続きました。
車両はヨーロッパから輸入したもので、青を基調として窓も大きく、乗り心地は大変良かったです。

車内放送はヘブライ語、アラビア語、英語の3ヶ国語が流されます。乗車チケットは市内循環バスと併用でき、90分以内なら乗り換え自由です。
自動販売機でチケットを購入したら、乗車したとき入り口近くの機械に挿入すると、時間が印刷されます。
それがわからず、戸惑っている人もいました。
自動販売機はおつり銭がないので、チケットを購入できない販売機もあり、いかにもイスラエルだなぁという感じでした。

今年は11月に入って急激に寒くなったので、街の中の紅葉が目につきました。
見慣れている景色でしたが、路面電車からの眺めはいつもと違った雰囲気で、
大きな窓に映し出される景色はとても綺麗で、エルサレムの良さを再認識しました。
渋滞がないのはいいことですが、ゆっくり走るので急いでいるときは不便かもしれません。
走り始めた今も、あまりいい評判を聞きませんが、私的には聖都に似合っているのではないかと思います。

 エルサレムの路面電車

 黄色のボタンを押すとドアが開きます

 車内。まだ新しく綺麗でした

 「中央バスステーション前」週始めの日曜なので任務地に戻る兵士が大勢

写真5: 後方には旧市街の城壁


2011年10月
ユダヤ教のカレンダーでは、秋口にお祭りが続きます。
ティシュリーの月1日・2日が新年、9日がヨム・キプール(大贖罪日)、スコット(仮庵祭)が15日から22日までで、スコットの最終日はシムハット・トラー(律法の祭り)となります。

仮庵のお祭りは、一般に太陽暦10月頃に行われるもので、ユダヤ教三大祭りの一つです。
ユダヤの民がエジプトを出た後、40年間荒野で天幕に住んだことを記念し、現在もこのお祭りの頃になると、庭先やベランダに仮設の家(仮庵)を建ててお祝いします。
また、仮庵祭の祈りでは、レビ記23章40節に因み、立派な木の実、なつめやしの葉、茂った木の枝、川柳の枝の4種類の植物が用意されます。

昔の先祖が荒野で過ごした40年間を記憶するために、仮庵の中で食事をしたり、人によってはそこで寝て、追体験をします。
また、「息子、娘、男女の奴隷、あなたの町にいるレビ人、寄留者、孤児、寡婦などと共にこの祭りを喜び祝いなさい」(申命記16:14)とのことで、多くのお客さんを招いて食事をしたり、近所の人たちと一緒に食事をする習慣があります。


 仮庵祭前は、あちこちで仮庵の中を飾るものが売られます。


 4種類の植物の一つ、エトログ


 祈りで使う植物はセットになってます。


 街中にある仮庵−枠だけ購入してあとは自前タイプ


 街中にある仮庵−一式セットになっているタイプ


2011年9月
7月、8月と暑かったイスラエルも、空気に秋を感じるようになりました。
今年は9月28日がユダヤ暦での新年にあたります。5772年の幕開けです。
ヘブライ語で新年をローシュ・ハシャナーといい、「一年の頭」という意味です。
そのために、新年の食卓には魚の頭が出されます。また新年が甘い良い年になるようにと、りんごを蜂蜜と一緒に食べたり、石榴を食べます。

さて、先日最近一般公開された「ダビデの町」から見つかったヘロデ大王時代(紀元前37〜93年頃)の排水溝を見に行ってきました。
現在「ダビデの町」は大掛かりな発掘が行われ、日々新しい発見や今までの定説が修正されたりと注目を浴びています。
この排水溝は、旧市街の南の考古学公園にあるヘロデ大王時代の通りの下に作られて、シロアムの池のところまで続いています。
フラビウス・ヨセフスの「ユダヤ戦記」では、70年ローマとの戦いで、エルサレムの人々はこの排水溝に避難したと書かれています。
この排水溝から陶器の破片、石器の杯、装飾を施した石、そして貨幣がでてきましたが、中でも感動的な発見は金の鈴でした。
それは大祭司の衣に付けていたものです。 人々が大祭司に対して非礼のないように、大祭司の衣にはいくつもの鈴がつけられて、彼が動くたびにその鈴が鳴り、彼の場所を教えたのです。
大祭司がお勤めのため、神殿に行く途中で落ちて、排水溝に入ったままだったのかもしれません。

遺跡はただの朽ち果てた石ですが、その頃に思いを馳せながら見ていると、その当時の人々の息遣いまで感じられるのではないでしょうか。


現在発掘中の「ダビデの町」。ソロモン時代からビザンチン時代の遺跡が出てきている。


ビザンチン時代のモザイク画の床


排水溝へ入る入り口


排水溝の中


庭先の石榴。実が一杯詰まった年ということで、新年の象徴


2011年6月
過ぎ越しのお祭りの2日目から数えて7週目に行われるシャブオットは、ユダヤ教三大祭りの一つです。

「小麦の刈り入れの初穂のために七週を、年の変わり目に収穫祭を、行わなければならない」(出エジプト34章22節)
もともと穀物の収穫感謝祭だったので、刈り入れの祭りや初穂の祭りとも呼ばれています。

ユダヤ教では、モーセがシナイ山で十戒を授かった日として祝うようになり、ユダヤ教徒は熱心に聖書を読みます。シナゴーグ(ユダヤ教会堂)ではルツ記が朗読されます。

キリスト教では「50日目」を意味するギリシャ語から「ペンテコステ」と呼ばれています。およそ2千年前のシャブオットの最中、弟子たちに聖霊がくだり主を証しました。

この日には、乳製品を食べる風習があります。
ピザやクリームのパスタ、キッシュなど色々ありますが、手軽にできるブリンチェスをご紹介しましょう。クレープのようなものです。

材料:小麦粉11カップ、牛乳1.5カップ、卵2個、サラダ油小さじ3杯、塩小さじ1/4杯  
作り方:1. ボールに牛乳、卵、サラダ油を入れ、よくかき混ぜます。
2. 1の中に小麦粉と塩を入れ、だまが出来ないようにかき混ぜます。
            3. フライパンに薄く油を塗り、玉じゃくしに半分ぐらいの2を入れ、弱火で
両面を 
焼きます。
中に砂糖、塩少々、生クリーム少々、ドライレーズンを入れたクリームチーズややわらかめのマッシュポテトを入れて、春巻きのように巻いてできあがりです。


 シャブオットで食べるブリンチェス


2011年5月
過ぎ越しのお祭りから次のシャブオット(五旬節またはペンテコステ)の間に、いくつかの記念日があります。
イスラエルでは伝統的なお祭り行事だけでなく、現代に作られた記念日もユダヤ暦に沿って行われています。
ということで、イスラエルの独立記念日は西暦では5月14日ですが、ユダヤ暦に合わせるため、毎年ずれて行われます。

独立記念日の前に2つほど別の記念日があります。
1つがホロコースト記念日、そしてもう1つが戦没者記念日です。
この2つの記念日では1日中、テレビ・ラジオの全て娯楽番組や軽音楽などが放送されず、関連の映画やドキュメンタリー番組、音楽も静かな楽曲が流されます。
日没と共に始まるので、記念式典は夜行われます。その時、黙祷のサイレンも、国中に流れますが、戦没者記念日は午前にも1回あります。
このときは、仕事中の人も、街を歩いている途中の人も、車を運転している人も、止めて黙祷します。
3分間全てが一瞬止まった状態になってしまいます。

イスラエルにいる外国人にとってちょっと戸惑うのが、戦没者記念日の次の日に独立記念日があり、悲しみや追悼一色なのが、日没(実際には夜に行われる独立記念式典の終了間際の花火)からガラリと変わって、独立の歓喜になることです。
きのうまではテレビなどもずっと戦没者の遺族の思い出話など、涙を誘うようなドキュメンタリーだったのが、翌日はお祭り騒ぎに変わってしまうのです。

イスラエルは建国後も何度かの戦争を体験しています。また、テロで亡くなった人たちもこの日に追悼するので、毎年戦没者記念日になると、亡くなった人の数が増えます。

独立記念日は休日ですが、宗教的なお祭りではないので、この日はユダヤ教徒の人たちも車でハイキングに行ったりします。
また、イスラエルでは国民的行事といっていいのがバーベキューで、これから10月まで雨が降らないので、よく休日にバーベキューをする人たちを見かけます。
特に独立記念日は、国民の60%が家族や友人たちと、屋外でバーベキューをやります。
この日、外を歩くとあちらこちらから肉の焼ける香ばしい匂いがただよってきて、食欲をそそります。


 戦没者記念日、サイレンの合図で車から降りて黙祷する人たち

 独立記念日の夜、街中で

 独立記念日の夜、ペンライトやおもちゃのとんかちを売っている屋台

 イスラエル国旗一色の男性

 独立記念日にバーベキューをする人たち

 1日中のんびりとバーベキューしたり、遊んだり、昼寝したり


2011年4月
ユダヤ教・三大祭の一つである過越しの祭りは、ユダヤ暦のニサンの月14日に始まります。今年の西暦では4月18日です。
現地で「ペサハ
と呼ばれるこのお祭りは、約4000年前モーセによって、奴隷だったユダヤ人が解放され、出エジプトを祝うものです。
ファラオは、モーセがユダヤの民を連れて、神に約束された地へ行くことを良しとしなかったのですが、それに対して神は十の災いを臨ませました。その十番目の災いが、エジプト全土の人間から家畜に至るまで全ての初子を撃つというものでした。戸口に印のない家にその災いを臨ませました。
このお祭りの名称は、戸口に印のあった家は神が「過ぎ越し
ていったことに由来します。

また、この過ぎ越しのお祭りは除酵祭でもあります。
出エジプトのときの多忙を忘れないために、7日間は種なし(酵母なし)パンを食べなければなりません。これは旧約の「出エジプト」12章にも書かれています。
現在は酵母入りパンだけでなく、小麦粉を使ったものも全てが、過ぎ越しのお祭り期間中には食べることができません。
この一週間はパスタ類、ビール、スープの素など小麦粉を使った食品は全てお店から消えてしまいます。

さて、過ぎ越しのお祭りの始めの夜は、「セデル」と呼ばれる特別の食事を行います。セデルとは「順序」という意味で、その中心は出エジプトの物語を語りながら、決まった式次第にそって祈ったり、歌ったりします。
「ハガダー」と呼ばれる過ぎ越し祭りの式次第の本を、集まった家族全員で読んでいきます。
まともにやると、長い時間がかかってお腹が空いてしまうので、略式で行う家庭も多いですが、ちゃんとしたユダヤ教徒の家庭ではハガダーを最後まで読み終えてきちんと儀式を行います。

また、このときに、テーブルには大皿が置かれ、セデルで用いられる象徴的な食べ物が並べられます。
マロール(苦菜)、奴隷の苦難を象徴するもので、西洋わさびが用いられます。
カルパス(青菜)、セロリやパセリなど、苦くない青菜を使いますが、塩水に浸して食べます。これは奴隷時代の涙を思い出させます。
ハゼレット(もっと苦い菜)、もう1種類の苦い菜がありますが、このハゼレットはマロールと同様な意味の象徴を持っています。聖書の「酵母を入れないパンと苦菜を添えてそのいけにえを食べなさい」(民数記9:11)とある箇所で、
この苦菜は複数形で書かれているため、ハゼレットが加えられるようになったといわれています。
ハロセット(甘い混ぜ物)、なつめやしやりんごに対して、ナッツ、ワインを混ぜて甘いペーストにしたもので、これはエジプトでレンガを作った粘土を象徴します。
ゼロア(焼いた骨)、子羊の前脚のローストを置きますが、鶏や牛などの骨肉を使うこともあります。これはイスラエルの民は神のみ手によって導かれたので、神の強い手を象徴します。また、子羊を殺し、その血を門柱に塗るように命じられた、この羊をも象徴します。
ベイツァ(固ゆで卵)、新しい生命の象徴ですが、神殿があった頃の祭りに捧げられた犠牲の捧げ物の象徴とも、また、別の説では神殿の破壊を思って嘆くことにも関係していると言われています。

以上の他にワインと種なしパンであるマツォットも必ずテーブルに並びます。
ワインはセデルの参加者全員、4杯以上のワインを飲むのが伝統です。
それらの杯は神の4つの約束を象徴します。
「わたしはエジプトの重労働の下からあたなたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、…」(出エジプト6:6-7)

こうやってユダヤ人はセデルを通して、モーセの時代にあった神の力強い業を記念しているのです。


 セデルの卓。マツォットやハガダーなど

写真 2 セデルの大皿


2011年3月
最初に、今回の大地震・津波による多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
被災地の皆様、また様々な影響を受けた皆様には1日も早く元の生活に戻れますようお祈り申し上げます。

もっと早く更新する予定でしたが、あの災害以来、何をどう書いていいのかずっと迷ってました。その間、イスラエルの親類、友人・知人、仕事関係の人々、よく利用しているパン屋やガソリンスタンドの人々からお見舞いや励ましの言葉を沢山頂きました。
11日以降にイスラエルに来た旅行者も、行く所行く所で地元イスラエル人や他国から来た観光客から声をかけられ、私同様にお見舞いや励ましの言葉を受けていました。

きのうは子供の親子面談で学校へ行ったとき、久しぶりに子供の友人のお母さんに会いました。挨拶の後、やはり災害の話になったのですが、「私の兄弟は今
向こうにいるのよ」と言うので、東京か大阪あたりに仕事でいってるのかと思ったら、今回のイスラエル政府が送った緊急医療チームの一員だそうです。
年老いた母親はすごく心配しているらしいのですが、他の家族は、目の前の彼女も含めて「人助けなんだもの。しっかりやってきてくれればそれで嬉しい」とのこと。
彼女も警察官なのでたくましいお言葉でした。
私はつい彼女の手を握って「ありがとう」といってしまいました。

イスラエルでも有志による募金や、チャリティーコンサートなどが始められています。
今回は3月に撮った各地での祈りの写真を載せてみました。


ガリラヤ湖、山頂の垂訓教会での野外ミサ


ガリラヤ湖、ペテロ主位権教会


ベツレヘム、生誕教会の地下洞窟


2011年2月
先週の土曜。友人に招かれて、昼食に行きました。
イスラエルでは冬の安息日によくでるハミンという鍋料理です。

ユダヤ教の戒律で安息日は火を使ってはいけないことになっています。
そのために考案された料理で、残り火の中に鍋を放り込んでおくと、翌日には暖かいできたての料理が食べられるわけです。
現在はかまどからホットプレートに代り、日没の安息日に入る前にタイマーのスイッチをオンにしておくと、低温で一晩中調理されます。
入れるものは時代やそれぞれの家庭によって多少異なりますが、今回の友人宅では牛の肩肉、インゲン豆、卵、じゃがいも、麦や香辛料を腸詰したベジタリアンのソーセージでした。

紀元前から食されていたもので、もしかしたらイエス・キリストも子供の頃食べていたのかもしれませんね。

今年は12月から1月にかけて暖かく、2月になってから寒さが続いています。
用事でバプテスマのヨハネの生誕地エイン・カレムに行ったところ、アーモンドの花が咲いてました。例年だったらあちこちで満開になっているのに、まだ蕾のところもあり、まばらでした。
寒くあるべき時期が寒くなかったので、咲きがイマイチです。
桜の花ににているアーモンドが咲くとイスラエルは一瞬にして短い春が訪れます。


イスラエルではよく大勢で食事をします


ホットプレートの上に置かれているハミンの鍋


デザートには今が旬のイスラエル産いちご


道の沿道に満開になっていたアーモンドの花


アーモンドの花の後方にエイン・カレムの山里


2011年1月
新年のお慶びを申し上げます。

年末年始にツアーがあり、その中でマサダからのご来光を眺める、というのがありました。
死海のホテルを6時前に出発し、貸切りのロープウェイで頂上へ行きます。
待つこと30分ばかり、辺りが明るくなり、ヨルダン側の山々の間から朝日が上がってきます。
生憎前日からお天気が崩れ、雲が多かったので綺麗なご来光は見られませんでしたが、新年にあたってこういう景色を見ると、気持ちが引き締まります。

マサダは自然な要塞の形をしており、それをさらにヘロデ大王が、強固な城壁を廻らして見張りの塔などを作り、強化しました。その後西暦66年から勃発したユダヤ・ローマ戦争の時、エルサレムが崩壊された後、生き残ったユダヤ人たちがマサダに逃げて立て篭もり、最終的に集団自決したところです。
日中は大勢の観光客が訪れて喧騒的ですが、早朝は殆ど人がいないので、しーんと静まりかえっており、その当時の人々に思いを馳せるには絶好の環境です。

キリストの生誕地、ベツレヘムにも行ってきました。
生誕教会に隣接している聖カテリーナ教会が、毎年12月25日の0時にカソリックの降誕ミサが行われ、その模様が世界中に衛星中継されています。
降誕ミサ以降1月下旬までこちらに来ますと、生誕教会の地下洞に飼い葉桶に見立てた祭壇に、赤ちゃんのキリストが寝かされているのが見られます。

イスラエルは1月が1年の中でも最も寒い月ですが、2月に入るとそろそろ春の声を聞きます。


マサダからのご来光。水面は死海


生誕教会の地下洞の飼い葉桶に寝かされているキリスト


聖カテリーナ教会の内部


聖カテリーナ教会の祭壇の下に寝かされているキリスト

 


2010年12月


シャローム!

今年もわずかとなりましたが、皆様にはお変わりのない事と存じます。
イスラエルは今年、3百万人の観光客が世界中から訪れました。
真の平和になったら、これ以上の人たちが訪れやすくなることでしょう。

写真は今年2月にシナイ山頂上から撮ったものです。
夜中の2時に出発してご来光を見ました。
色々な国の人たちが、太陽が昇るのを待っている姿は、皆が一つになったような静謐な空気が漂ってました。
モーセの時代とほとんど変わらないこの景色は、下界でのことがちっぽけに思えてきます。

また、皆様とイスラエルもしくは日本、あるいはどこかの国で再会できることを楽しみにしております。

新しい年が皆様にとって健やかで平安でありますように。

エルサレムより 


2010年12月
このほどイスラエルの様子を、時々ではありますが、皆様にお伝えすることになりました。 どうぞよろしくお願いします。

さて、12月というとクリスマスですが、ここイスラエルではハヌカのお祭が行われます。
ユダヤ暦のキスレヴ25日から8日間行われますが、今年は12月1日の夜から始まりました。

ハヌカは「宮清めの祭り」といって、紀元前2世紀にギリシアの異教神に汚された神殿を清めた故事を記念するお祭です。
神殿にあった燭台へ灯す聖油が1日分しかなかったのに、8日間燃え続けたということから、ハヌキヤという9枝の燭台−1本は種火−に毎日1枝ずつ点灯し、8日目には種火と8枝に火が灯ります。こういうことから光の祭りとも呼ばれています。

また、ハヌカの期間は油を使った料理が必ず作られますが、特にスフガニヤというジャム入り揚げドーナッツはあちこちの店先で見かけられますし、友人宅などを訪問すると必ずお茶菓子に出されます。
ダイエットしている人は、この期間要注意。
スフガニヤの大きさが直径15センチ近くあるので、1個食べただけでも結構カロリーが高くつきます。
そのためか、最近は一口サイズの小さいスフガニヤも出回っています。

一般にハヌキヤは家の中に飾りますが、東ヨーロッパ系のユダヤ人は家の外に飾る習慣があります。
私の住んでいるエルサレムの東ヨーロッパ系ユダヤ教徒の住居区では、このハヌカの、特に終りの頃は沿道が綺麗で夜の道を明るくします。
クリスマスの飾りつけのような派手さはありませんが、とても幻想的です。

少し早いですが、皆様には新しい年がこの灯火のような明るいものであることを聖地よりお祈りいたします。


我が家のハヌキヤ。ハヌカ第2日目

スフガニヤ

去年、東ヨーロッパ系ユダヤ教徒の住居区で撮ったハヌキヤ