サンチャゴ巡礼記

2008年10月14日〜26日(13日間)

サイリア〜サンチャゴ・デ・コンポステーラ

丸山様

「あの道を歩きたい!」という思いにいきなり取り付かれてしまい、それが心にあまりに強かったというのが、この旅のはじまりでした。初めてザックを背負い歩く旅が、見知らぬスペインの北西部であることについて自分への戸惑いが大きく、憧れと恐れ、心の中は大きく二つに分かれ、バランスを取る事ができないまま初めの日を迎えてしまいました。
荷物は最低限にしたつもりでしたが、それでも小さな身体には負担が大きく、最初のほんの10キロほど歩いたところで指先にマメと血豆ができ、夕方にはそれをかばうあまり足の平が踵から激痛がはしるほどになりました。その疲れや痛みがとれないまま、翌日には、ほとんど歩みが進まない状態でした。そのような時でも、空は青く、雲は白く、小鳥のさえずり、かわいらしいきのこ、美しい花々、そして、牛や羊たちにはげまされ、少しずつでも進んでいかれたと思うのです。また、時を同じくしてこの道を歩かれた皆様とのふれあいや笑顔にたくさんの力をいただきました。「道が人を歩かせるのだ」という表現を聞いたことがありますが、ほんとうに、この身体が道に沿って運ばれていくのだという思いがありました。特にそれを感じたのは、雨の日です。
サンチアゴ到着の前日、朝から大雨でした。吐く息も白い寒さで、今まで砂漠のように乾いていた道が川になりました。「雨になったら最悪!どうしよう・・・」と思っていましたけれども、それは間違いでした。この道に満ちている何もかもが雨になって私の身体に降り注ぎ、あるいは、この道筋に満ちて流れとなり、いざなってくれているようでした。カッパ姿でよそ見もできず、ただ純粋に歩みを進める、本当に集中した時間が、また私の心身に新しい経験と力を与えてくれたように思います。
旅の終わりの日は、この道との別れの日でもありました。サンチアゴの大聖堂は、達成感に満たされ、また、旅の終わりの寂しい思いとともに広場に立つ私の全てを受け止めてくれているようでした。ここに居て、いつまでもその姿を見ていたい、そして大聖堂からも見られていたい、そんな気持ちに浸っておりました。到着してすぐのミサが、幸運にも「ボタフメイロ」のミサでした。感謝の思いで涙がたくさんこぼれおちていたことを忘れることはできません。
私が歩きましたのは、サリアからの110キロほどでしたが、この道は、「ひかりの園」にあるという風に思っています。朝の光、昼の光、夕の光が本当に明るく、森や野原やお堂を照らし、美しい影を作っていました。その世界に身をおく事ができましたこと、そういう自分をとても嬉しく思い、そしてご協力いただきました皆様に心から感謝の気持ちでいっぱいです。

このような感想を書く事ができますのも、同行のお二人に心身ともに助けていただきましたおかげでございます。おかげさまで、ひ弱でわがままな私でも、このように旅を語る事ができるのです。本当に 松村さま、SNJの皆様、同行のお二人の支えあってこそ、この旅が彩り豊かであったことがたいへん幸せと思っております。
ありがとうございました。